Allgood-Life!! バカンスはモザンビークにて。

コミュニティ開発隊員として2018年1月から2年間、モザンビークのリバウエという田舎町に行ってます。おいでよリバウエ

アフリカのモザンビークの田舎町(リバウエ)の日常

ども、モザンビークのリバウエで青年海外協力隊としてボランティアしてます小倉です。

 

本日のブログは20173次隊の中で唯一無二の存在、そして1988年生まれでこの人を知らない人はいないと巷では噂される天下の剣の支配者「神」と呼ばれた男の企画に乗っかった便乗記事になります!クリスマスまで日めくりカレンダー形式でブログリレーしちゃおうという、なんとも暇を持て余した神々の考える崇高な催し物なわけです。神が思召されたことの一端を担えるなんて、僕のような穢れた罪深き人間としてこれ以上の喜びはないですね!!!

 

 

 

、、、はい、すいませんでした。反省してます。

ふざけるのはこれくらいにしておいて、今回ゆーたがこのアドベントカレンダー企画してくれたおかげで普段このブログを読まない方(簡単に言うと自分が直接つながりを持っているわけではない方)もこの記事を見てくれていると思う(そう願う!)ので、少しだけ告知をさせてください。

 

 


D-mc 23rd Presents『DREAM 』CM

 

映画の告知かって?いやこれ実はダンス公演の告知です。マジで映画みたいですよね。俺もマジで映画かと思いましたw

自分が所属していた頃(もう10年前)にCMを作ってYoutubeに打ち出し始めたんですが、そっからのクオリティの上がり方が半端ない。。。近年はCMだけ見ると完全に映画ですが、実際にはダンス公演です!来週のこの時間はちょうどステージやってる頃、、、終わってる頃かな。。。楽しんでいるでしょう!興味ある方、是非!

 

 

もう1つ(2つだった)、行きます!


だんすなう

www.instagram.com

 

 

すたじおうにあす

 

unius.studio

 

 

友人がやってるサービスで、動画を見ながら簡単にダンスが練習できます!あと渋谷にレンタルスタジオ(徒歩1分)があるので、こちらも興味ある人いたら是非!いまのシーズンだと忘年会の余興練習とかで使えんじゃないですかね?あと、ある筋によるとどうやらCEOは昔ダンスしていた頃にトップクラスのダンサーだったらしい!すげー。(棒)

 

 

本題

特にお題があるわけではなかったのでモザンビークの観光でも書こうかなと思っていたのですが、これまで旅行した主なところはすでに書いてるし(以下記事参照)、

 

allgoodlife.hatenablog.com

allgoodlife.hatenablog.com

  

allgoodlife.hatenablog.com

 

行ってないところ書けないし、せっかくならもっと協力隊のリアルに触れるもの(旅行者じゃなくて生活者の視点、というか見え方?)が書ければなぁと思っていたものの、そういうのって何を書いていいか結局わからないから文字に起こせないんですよね。

 

だけどこないだ何となくメルカド(市場)で動画を撮ったので、それを見てもらおうかなと。そんでアフリカの田舎町ってこんな感じか!アフリカの日常ってこんな感じか!というのを何となく感じてもらえればなぁと。(勿論アフリカでかいから一括りにできないんだけどね。感覚です)

注意:動画、だいぶ揺れます!酔ったらごめんなさい!

 


リバウエ(アフリカの田舎町)の市場と日常

 

 

 

こんな感じでゆるく生活してます。

現地語、マジで全然わっかんね。これでも結構勉強してるんだけど。

ここのメルカドは職場から近くて結構毎日レベルで行ってたりする。売り子の奴らもだいたい顔がわかるようになった(前までは難しかった)。普段カメラ回してなかったらもっと基本的なことしか喋らないんだけど、カメラ回してたから色々と質問されて、でも全然意思疎通ができないw あと1年でどこまで現地語コミュニケーションが取れるようになるか。頑張ります。

ちなみにここで買えるものはだいたいこんな感じ。(動画取ってる日の価格。先週の日曜日かな)

 

トマト:中4つで20

玉ねぎ:中4つで20

キャベツ:中1玉3040

ジャガイモ:1キロ100

卵:120

ヤギ肉:1キロ400円(ほねつき)

豚肉:1キロ360円(ほねつき)

パン:動画に出てた奴は3つで20

バナナ:4本で20

    計算がめんどいので1MT2円で計算

 

そんな感じで、以上、リバウエ(任地)のメルカド(市場)と日常でした!

 

そして明日のアドベンター(カレンダー?orライター?)はふっくん。南アフリカPCインストラクターですね。訓練所で初めて会ったとき、「めっちゃ落ち着いてる人だ。年上だろうな」と思ったけど、実際には1歳下だった。年齢を知った時(たぶん野外訓練)、訓練所で一番驚いたかもしれない。ああそういえば寒い冬が懐かしいなぁ。。。

 

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よくわからんのだがお祝いに呼ばれた(カメラマンとして) 右の女の子が主役でした

 

 

PS 先週の金曜日から断水でまだ復旧しない。。。つらみ

モザンビークでSHEP研修

どーも、モザンビークのド田舎リバウエにて青年海外協力隊としてボランティアをしてます小倉です。1か月くらい前から(10月下旬ごろから)、「そろそろ雨期が始まるんじゃないか」などとソワソワしながら過ごしていたものの一向に雨が降る様子がなかったのですが、本日、漸くまとまった雨が降りました。ってか降ってます!

いやー、雨期始まりそうですね!これで畑での仕事も本格的に始まりますね!!

 

 

そしてその結果、停電です。

 

 

 

 

・・・忘れてた。雨は畑に恵を運ぶとともに家には停電を運んでくるやつだったんすね。

 

ということで、停電でやることがなくなったので、ブログですw

 

先週1週間、モザンビーク北部のニアッサ州はリシンガにて、同僚普及員たちと共にSHEPの研修に参加してきたので、それの報告でもしましょうか。

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今回一緒のグループになった他地域の普及員たち

 

 

 

 

リシンガってどこやねん。

はい、まずリシンガどこやねんって話ですね。リシンガってのは、簡単に言うとモザンビークの左上の方にあるニアッサ州の州都です。

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一瞬でわかるリシンガ位置

北はタンザニアで西はマラウイと国境を接していますね。国際的にはマラウイ湖と呼ばれる湖がモザンとマラウイの国境にあるんだけど、モザンビークマラウイ湖を少し保有14くらい?)していて、そのためモザンビーク側ではニアッサ湖と呼んでたりします。

リシンガは標高が結構高くて、1000メートルくらいあるみたいです。なんで、アフリカのわりに結構寒くて冬(6月、7月くらい)は息が白くなるくらいなんですが、今回もナンプラ(リバウエ)よりは確実に寒かったです。飛行機降りた瞬間「うわ寒っ!」って普通に言ったwまぁ雨降ってたのもあるかもしれんけどさ。

ちなみに、モザンビークの他地域と異なり寒くなるので、リンゴやイチゴなんかのフルーツも栽培できるのがここの特徴っすね。

 

研修について

そんで、ナンプラ、ザンベジア、ニアッサからSDAE(郡の経済事務所)DPASA(SDAEを管理する州レベルの組織)の普及員たち合計40人くらいが集まり、研修を行いました。JOCVは自分を含めて3人。同期の農業(コミュ開)隊員が1人と先輩の農業(野菜栽培)隊員が1人。みんな同じSDAEという組織に所属していて、農業の普及活動を行っています。

今回の研修は基本的には同僚普及員向け(だと思う)なんですが、モザンの北部地域SDAEで働いているJOCVも(ついでに?)一緒に受けてもらおう、という感じだと思います。研修自体は(当たり前なんですが)オールポル語だったんで、細かいところの理解度はぶっちゃけあんまり高くないと思う。。。知っている単語からの推測、見せているイラストからの推測、スライドの構成からの推測、細かい内容については推測のオンパレードでしたw めっちゃ疲れた。

 

モザン人研修の様子

同僚と一緒に研修に出たのは初めてだったんで、モザン人が普段どんな感じで研修を受けているのかっていうのに興味があったんすよ。ざっと箇条書きすると

l  めちゃくちゃ積極的に手を挙げて発言すると思ってた、、、が別にそうでもない

l  ただ、日本よりは発言する人、発言したいと思っていそうな人は多いかも

l  (グループワークがいくつかあったんだけど)各ワークの目的をわかって研修を受けている人ととそうでない人がいる。そうでない人の方がおそらく多い、、、気がする。

l  普及員がみんなある程度一律の農業知識(経験)を持っていると思ったけど、結構違うっぽい。地域が違うから仕方ないと思うけど、結構盲点だったかも。専門学校で習う内容も地域によって異なってくるのか?

l  (どういう基準で選ばれてるのか知らないけど)年齢層はうまくばらけてたと思う。年配(4050歳くらい)の普及員もいた。農業経験自体はとても豊富だし、講師から全体に対してコメントを求められたときに真っ先に手を挙げていたのは年配の人だったから、話したいこと・伝えたいことは多いんだろうな。一方で、みんなで話をしながら何かを決めなければならないグループワークの時には議論の輪に入れている感じがあんまりなかったかも。その点では若手(20歳代)の方がいろんな意味で研修慣れしている感はある。

l  自己主張は(日本人より)強いと思うので、基本は意見を引かない。あとあんま聞かないのと曲げない。みんな夫々自分には自信を持っていると思う。それ自体はとてもいいこと。

l  上の「意見を聞かない、引かない」という点に関して、ホワイトボードとかあって活用出来たら、もっと議論が上手くまとまったかも。今回はグループワークで作らなきゃいけないことはたくさんあったけど、みんなのコンセンサスを得るための道具(議論の道筋をつけたりとか)はなかったから、それがあったら違う結果になったかもしれない。特に言語の障壁があるときにはどれだけ言語化して共有できるかが勝負だなぁ。

 

 

偉そうなこと書いてるけど、自分も日本で研修を受けてる時ってどんなだっただろうかとか思ったりした。結論としてはモザン人と日本人でそんなに大きな差はないと思う。一つ違いがあるとすれば、こっちでは人の意見を聞くよりかは自分の意見を喋るということが大事っていう価値観なのかもね。 

 

SHEPって???

んで、「今回の研修の主題になってるSHEPってなんやねん!」ってなりますよね。SHEPとはJICAがやってる農業支援の手法(というかアプローチ方法?)の一つです。Smallholder Holticulture Empowerment Promotionの略称で、頭文字をとってます。野菜を栽培する小規模農家のエンパワーメント策、とでも言いますかね。ケニアでこのアプローチが結構いい感じに成功したみたいなんで、調子に乗って他のアフリカ諸国にも展開してるみたいです。

日本にいたときも話聞いてたんですが、すごく簡単に言うと、「マーケットへのアクセスがない農家をマーケットに連れて行って、自分たちが儲けられる手法を色々考えてもらって、稼いでもらって生活を良くしてもらおう」って感じですね。すげーざっくり。

今回自分たちもその一連の動作として、マーケットに行って市場調査をして、内容を分析して、やることを決めて、計画を立てて・・・ってとこまでをグループでやりました。研修としてね。SHEPの内容に関して詳しくはJICAHPとか見てください。。。

JICA SHEP

https://www.jica.go.jp/activities/issues/agricul/approach/shep/index.html

 

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玉ねぎの市場調査

 

 

ちなみにこのSHEPは、実際に稼ぐために必要な、様々な問題解決策の具体案として道路整備を挙げており、日本が誇る土嚢テクノロジー(!)が紹介されている。どのう!

 

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土嚢テクノロジーを紹介するDVD。土のうってか、発音がなんか「Do know」みたいになるんですよねw

 


 

 

SHEPでほんとにそんな上手くいくのか?

これ、マジで日本で話を聞いたときには速攻で思いました。できた部分を強調したプレゼンだったとは思うし、うわーバラ色だぁとも思ったのであんま信じられなかったw 今回こちらで話を聞いてみて、当たり前なんですが、「上手くいくと保証されている手法なわけではない」ということを実感しました。はい本当に当たり前ですねw それでもやはり、有効な一つのアプローチ手法だとは思います。

っていうか、最終目標(というか上位目標?)としては「農家の収入増加に伴う生活の質向上」なんだとは思うけど、これ目標としては「農家に市場経済の原則を理解してもらい、それに向けて頑張るメンタリティを作ってもらう」ってことなんじゃないか? なんか農家の生活向上がすごい前面に出てきてて嘘くさく見えてしまうけど、農家の「考える力」を養うということを前面に押し出せば変な見え方しないんじゃないか? そうすると、SHEPという略称も非常に納得がいく。。。! 特にEmpowermentの部分。研修ってなると、「こうやればいい!」っていう解決策を提示されてそれを真似すれば結果が出るみたいな感覚になりがちだけど、これはあくまで効果があると思われる「一つの手法」であって「解決策ではない!」ってのを言った方がいい気がする。絶対そうだわ。

 

もしくは、そもそも自分の理解が間違っていたのか。。。?

俺が理解できてなかっただけなのか。。。? 

ださw 

 

 

 

 

 

最終日、全プログラムが終わった後はみんなで飲んでダンスしました。

ちなみにその前日、偉い人のお願い(終了時間になっちゃったけど今日のプログラム終わってないからもうちょいやろうぜ!)に対してペーペーの普及員たちが拒否(いやむり疲れた帰らせろ)しましたが、モザン人って良くも悪くもすぐ忘れるんですよね!w

そんなことはなんの関係もないといった感じでみんな仲良くペアダンスしてました。

モザン人はペアダンスうめーっす。めちゃかっこいい。 

 

今日もモザンは平和です。

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同僚たち

 

口約束の守り方

ども、世界腐敗度ランキングワースト11位の国モザンビークからこんにちは、小倉です。知り合いにはモザンビークに来てほしいのですが、いろいろと腐敗度合いが世界レベルな国なのでご来訪の際には一報ください。ちゃんとレクチャーします。自分は警察からあんまりたかられたことないですが、空港で「ジュースくれよ」とか、貴重品のチェック受けてたら小銭入れ開けられたことはあるので、基本的にこの国は片時も気が抜けません。開けられたのが小銭入れでマジでよかった。勝手に人の財布開けんな!!あほか!!

 

さて、ちょっとブログ更新の頻度上がってきました。ちょっと前までは「ネタ探ししないとー!」みたいなのがあって書かない時期があったりしたんですが、もうどうでもいいかと思いつつ、思ったこと書いていこうかなと。そんで今日は何かというとモザン人との約束についてです。

 

 

 

モザンビークでの約束について>

モザン人、約束、守りませんねー。お金もそうだし時間もそうだし、「あれやる」って言ってやらなかったり。そのくせ動くときは急激に動く。だから約束する必要ないのか?

お金に関していうとマジで少額(100円くらい)でしか貸してないけど、お金貸して帰ってきたの、確率的には2割切ってんじゃないかなー。少額貸して返してこない奴は二度と貸さないようにしようと試金石的な感じで使ってます。ちなみに、いわゆるばらまき型支援にならない様に(なってるけど)「ちょうだい」ではなくて「貸して」と言ってくる奴にのみ貸しています。「ちょうだい」と「貸して」は天地ほどの差があると思うんですが、それでもやっぱ返ってくるのは少ないっすねー。。。

 

やるやる詐欺もそうですね。「やるから。明日やってくるから。」って豪語しといて、翌日来たらやってない。やるから!とか言われると「やる気あるならいっか」的な感じであんまり細かく時間とかそのアクションが完了したかとか聞かないんですけど、ちゃんと管理しなきゃダメなんですかね。上司と飯行って奢ってもらったときみたいに、

  1. 奢ると言ってくれた瞬間
  2. 店を出るとき
  3. 翌日会社で目を合わせたとき、
てな感じで
  1. 約束成立の時に確認し
  2. 約束の前夜に確認し
  3. 約束の当日朝に確認する、
みたいな手順踏まなきゃならんのですか。
俺は古いタイプの営業マンか!?、あ、そうやん。。。

 

それで、職場の同僚たちは「農家と働くのは大変だ。なぜならあいつら約束破るしちょうめんどくさいからな」とか言って農家を完全に下に見てる。

 

いや、お前らも含めてこの国みんなそんなんやで。

普及員も所長レベルも農家もみんなやで。

 

<約束を破らせないようにするために>

人の意識を変えるのはとても難しいから、それを目標にはできないけど、「約束」をしたときに「約束が破られた」ときの「手間」「失望」「怒り」この辺をわかるようにさせたいとは思うんだよね。どんな仕事だって一人では完結しないから人に任せなきゃいけないわけですよ。そこには信頼がある。だから仕事を任す。頼む。そんで必要であれば対価を払う。でも信頼がなかったら任したくないし金払いたくないわけですよ。当たり前なんだけどね。で、いろんな理由があるとは思うけど、約束を破られるのは彼らにとって自分が損得で考えたときに大した得じゃないからそうなるわけで。すげーむかつくし同僚が言うこと(農家たちマジちょうめんどくせぇ)もわかるんだけど、ここは上に立つ人間から態度を改めていかないとなんも変わらないわけですよ。これで上に立つ人間が「遅刻していってやろー」とか思ったら完全に負のスパイラルにはまっている。

 

下の人間(農家)からしたら、「どうせまたあいつ来ねーだろ」とか「遅刻してくんだろ」とか考えるのは、以前に遅刻したり結局来なかったりの前例があるからそう考えるわけで。それで信頼がない状態を脱することが出来ずに、いざ本当に農家たちが必要な時にパワープレイで招集かけたりすると最初数時間はいいけど2,3時間すると農家たちがグダりだす。家帰らせろ、腹減った、畑やりてーんだけど。などなど

 

ザ・ワーストケース

オ カーゾ オ ピオール

 

ボランティアは上に立つ立場じゃないけど、そうなるケースもある。だから基本的には約束は守りたいと思っている。どうしようもないときは連絡して約束を変更してもらう。これ、常識だと思ってきたんだけど、自分が見ているアフリカではまだ常識ではない。日本の社会が自分本位ではなく他人本位すぎだ!っていう批判(意見?)があるかもしれないけど、個人的にここはなくしちゃいけないと思うんだよなー。競合出し抜くビジネスやってんならまだしも、農業支援は政府としての公共サービスだしね。普及員は公務員だし。だからと言って農家側に踏ん反りかえられても多すぎる注文出されても困るんだけど。

 

何事も歩み寄りが大事ってことなんでしょうか。

わかってくれるといいなぁ。

態度が伝わればいいなぁ。

 

結論:

口約束の守り方に解決策はない。でもこんな時に宗教とかと絡めて話が出来たらすげー強いんだろうな思う。変な意味じゃなくてみんな宗教大好きだから。たぶんね

うわ!宗教さいきょうや!!!

キリスト教に詳しい、または自分はクリスチャンであるという方、連絡ください。(切実)

 

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友達(角度)



多分初めてじゃなかろうか、任地に連続1か月居続けた

Ehali!!(マクア語でこんにちは)

Munpaka echeenii?(同じくマクア語で何してる?)

 

日曜の昼間、くそ暇。安定の(無?)計画停電です。ども小倉です。

 

前回記事ではネガティブやーみたいな感じでアッピールしてましたが、ああいう記事が書けるってことは最悪の時期を脱したってことで、まぁそんな感じです。

要するに、現在は割と悪くない感じだよってことです。

活動も少しだけ自信がついてできてきた気がするので、これからっすかねぇ。ほんと、「始めた!」って段階だけどまぁキックオフって大事だし!!!と自分に言い聞かしてます。

具体的には以下4つをやっている(やる予定)

 

1.       任地の留置所?(刑務所?正しい日本語訳がわからないけどそんな感じのところ)が畑を始めたから、それの監修とか助言。いわゆる囚人的な人と一緒に働いてるw

→ 多分(てか絶対だけど)、囚人が逃げ出さない様に見張っている刑務官みたいな人  は常に銃持ってる。 畑と銃のコントラスト(・・・国旗やん!)。でも囚人と刑務官は割とフランクにコミュニケーション取ってる!冗談とか言いあったりしてるし!なんかその関係性がおもろい。日本じゃ考えられない。基本は男の刑務官だけど、これが女刑務官とかだったら、「こーら、とっとと仕事しないと逮捕しちゃうぞ?きゃぴ」「もう逮捕されてますってー!!勘弁してくださいよ姉御ー、ガハハハ」「うるせぇ(スチャ)」的な感じになるのかな?

2.       交通手段がないために同僚普及員があんま活動していないエリアで、一緒に農家の組織づくりと、そこの模範農場作成(俺バイクあるから行ける)

3.       割とこれまでも訪問してたエリアの組織で、ネリカ稲作とトウモロコシ害虫対策研究(自然農薬を試す予定。。。)

4.       自宅で家庭菜園(うちは庭がある!)

 

肉牛の牧場主を見つけたから、そこでぼかし肥とか作れればなぁ、、、と夢想中。脱夢想。目指せ具現化。

上記活動の細かいところはどこかのタイミングで書こうと思う。

 

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ほんで本題。タイトルの通り、たぶん任地に来てから初めて、1か月ずっと任地いた。

なんやかんや先輩のデスペ(帰国パーティ的な)やら分科会やらで週末任地を離れるってことがあったから、ずーっと任地にいるってのはあんまなかったんすよね。

 

協力隊って、基本的には任地にいなきゃいけないんですよ。そこから出るには移動届なるものをJICAに出さなきゃならんし、そこに「溶け込む」ことが一つのミッションになっている(さらに日本人の中ではだれよりもその場所について知っているってのが理想)から、JICAが言ってることわかるし、基本的な理念については同意してるんですけど、

 

きづいちゃったんすよねぇ。。。

 

任地くそ暇やんけ(再認識)

 

これまでチャレンジしていなかった鶏一人捌きとか、活動兼家庭菜園用の種や肥料を

買いに行ったりとか、畑を耕してみたりとか、バイク洗車してみるとかボチボチやってこれまでは何とか暇をつぶしてきたんだけど、4週目にしてついにやることない。

 

っていうか、もはや1か月も任地に留まり続けてしまったということがなんか許せない。。。w

 

タイミング悪く仲のいいピースコーもバカンス中。残っている2人はテストの採点忙しめ。スイス人の仲良かったやつも帰っちゃったしおざえりも日本帰国中。完全に一人で任地に取り残されるとこんな感じになるのか!!!これはなんかイベント企画して任地での生活をもっと楽しまなあかん!! ← ということでこないだ2つ目の壁画行ったから3つ目の(最後の)壁画を今度見に行こうと決めた瞬間でした。いつだれが来ると言い出すかわからないしね。道案内とかできないとカッコ悪いしね。「えあの人もうピーか月も任地いるのに観光スポットの行き方すら知らないのかしら。。。いやぁねぇ」的な感じになりかねないしね。ナンプラ隊員増えるし。

 

あとは農家宿泊ツアーもそろそろ実行に移さねば。マクア語も多少コミュニケーション取れるようになってきたし。でもどっちかというと、言いたいことは言えるけど聞けない。単語とか言い回しが微妙に変わるだけで全然推測できなくなる。ってかモコニャに話すのにそんなに変化付けんなや!w 表現の幅広げんな!定型文のみ話せ!w 俺の問いかけだけバカみてぇに答えろ(某マンガのセリフより引用)

 

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記事を書きながらこないだの悩みとかを考えて思った。自分がここに来る前は、協力隊の悩みって「うぉぉぉ、ここがこうなったらこうやって上手くいくのに、なんでこうなんだぁぁぁ!!」的なバーニングしてる悩みなんだとずっと思ってたんだけど、実は「うわーやば。なんかわかんないけど全然活動できてないしやる気でねー(ハナホジー)」的な意外と冷静にしかし何も問題が見えていないという悩みなんじゃないですか。やる気の問題ですか?俺やる気ないですかね?うるせぇw

 

でもさやっぱクロスロードとかに載ってる奇跡体験アンビリバボー顔負けのエピソードたちって、バーニングな悩みの解決談もあるけどハナホジー系のもあると思うんだよね。やっぱ最初からバーニングな悩みが見つかるなんて都合のいい話なんてなくて、「うーわどうすっかぁなー」って段階から悩みをハナホジーからバーニングへ昇華させてるものもあると思うんだよね。やっぱそういうエピソードはすごいココロ動かされるよね。俺も頑張らなきゃみたいな。うん、俺クロスロードよく読んでないから知らないけどさ。

 

 

 

明日も朝早いです!

そんで脈絡ないけど、来週はリシンガ行くからヨーグルト飲めるのにテンション上がってます!あとステーキがあった気がする!たしか!忘れたけど!

こないだ半日しかいなかったリシンガ。到達するまでに時間体力共に多大なる犠牲(まるっと2日間)を払ったのに数時間しか滞在しなかったリシンガ。次に行くことは当分ないだろうと思っていたリシンガ。意外と早くリベンジの機会が与えられました!うれしみ。

でもそれって要するに陸路2日間かけて行かなくてもこのタイミングを待っていれば安心安全のフライトで自動的に行け ・・・

 

 

Eixxxxx!!!!(ヨッシャ!的なモザン語)

Mpaka melo(マクア語でまた明日)

 


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留置場の畑 左のおっさんは偉い人

 

 

ネガティブ隊員

20173次隊として赴任してからすでに10か月が経過し、あれよあれよと言う間に後輩隊次が入ってきて新入りから先輩への変身を遂げつつある。なんと今月末には、3つ下の隊次である20182次隊が任地赴任になるのだ。

 

自分が入国してきたときには1つ上の隊次でもめちゃくちゃ先輩に見えた。3つ上の隊次とかもうモザンプロみたいな感じに見えた。活動バリバリやってて半端な!みたいな。「いやー自分の活動なんてまだまだで。。。」とか言っている先輩を見て、「いやいやめちゃくちゃ活動してるやん」とか思ってた。

 

あの頃は1年も経てばポル語も現地語もそれなりにバシバシ話してガツガツ活動して我ここにありみたいな感じでモザンビークって国に自分の足跡を残し始めていると思っていた。自分が入国したころに思い描いていたイメージの先輩像に自分は今なれているだろうか。

 

 

 

 

 

むり

 

 

 

 

 

見ず知らずの土地で自分が思い描いていた活動をするって本当に難しいものなんだと痛感する毎日。そもそも具体的な活動イメージすら描けていなかったから本当に訳わからずに時間だけが過ぎていった感じがする。

 

アフリカに来て何やってるんだろうなぁ。

俺なんの活動しに来たんだっけなぁ。

そもそも支援するって言ってんのになんもスキルねぇんだよなぁ。

 

「最初の3か月は(生活に)慣れるのが仕事だから。。。」

「半年くらいはうまくいかなくても仕方ないでしょう。。。」

「活動が軌道に乗るには1年くらいかかることもあるからさ。。。」

 

そんな甘い言葉に乗っかって、もう本当につい最近までグダグダしてた。

自分がどんな活動をすればいいのか、よくわからない。

→ よくわからないから、まともに動けない

→ 動かないから、自分に自信がなくなる

→ 自身がないから、余計にどんな活動をすればいいのかわからなくなる

「支援しなきゃ。援助しなきゃ。」の固定観念が強すぎて、上みたいな負のスパイラルに巻き込まれてた。

 

これは巻き込まれたら出てくるのが大変だね。

同期で活動頑張っている隊員、日本で(または世界のどこでも)精一杯生きている友達をSNSなんかで見た日には他人への羨望と自分の未熟さに泣きたくなる。

でもなぜか、またスマホを手にもって開いてしまう。禁断のSNSを。

 

見たら羨ましい気持ちにしかならないのに、なんであれもう一回開くんだろうなぁ。やっぱ「自分もこうなりたい。こうやりたい。」っていう気持ちが表れているんだろうね。

 

今回この記事を書こうと思ったのは、自分が落ち込んだ時に同じような人がいないか検索してみた(協力隊 悩み。コミュニティ開発 悩み。など)んだけど、あんまり悩んでいる人が見えなかったから。(最終的にはJICA協力隊botの度重なるつぶやきにより励まされたw)

悩みを克服した人から悩んでいる人へのアドバイス的な奴はあったんだけど、なんか上からモノ申されるの嫌でw 悩んでいるんだけどポジティブな悩みの人とか単純に考え方がポジティブな人が結構多くて、それはまぶしくて見れな(見たくな)かった。協力隊ってポジティブな人多いなって改めて思った。

今考えたら、活動が始まっていなくて絶賛お悩み中の隊員がブログに「自分悩んでます」みたいな記事は投稿しないわな。だって具体的に文字に起こすほどの活動の悩みがないわけだから。悩みが顕在化してないし言語化できないんだよね。

 

だから、協力隊の活動開始フェーズで悩む人が、「あぁよくわからんけどこいつも悩んでんだなぁ」って思えるブログがなんか書きたかった。

生産性はないと思う。なぜなら弱いものが傷を舐めあっているだけだから。でも、共感ってのは大事なことだと思うんだよね。それがどんなことであっても、共感するだけでなんだか違った側面から物事を考えたりできるから。悩む主体が「自分→相手」になって俯瞰できんのかな。そう思ったら、少しは生産性あるのかなw

 

どうしようもない悩みの連鎖から抜け出るのは、少し大変かもしれない。あと、こうしたらいいみたいな特効薬とか多分ない。最終的にはそれが効くかもしれないんだけど、それが行動に移せているころにはすでに悩みから脱出しているんだと思う。今考えれば、俺はただひたすらに、なんかタイミングを待っている感じだった。自分の考えが転換するタイミングを。で、それはなんかふと訪れた。

 

自分は「支援しなければならない」という考えに取りつかれていた。でも、「語学」が出来なくて「専門知識」もない場合に一体何が支援できるだろうか。どうやって支援できるだろうか。俺はここで立ち止まっていた。

 

そんな時にそもそもなんで協力隊に応募したのか考えてみた。一番の理由は世界を広げたいからだった。国際協力でも支援でもない。自分が知っている物事、価値観、生活の知恵、土地、宗教、全部含めて広げたかった。だったら、ここで世界を広げるために必要な出費は自分が払うとして、自分の世界を広げるために周りのモザン人たちに手伝ってもらえばいいじゃん(もっというと、モザン人をうまいこと使えばいいじゃん)という考えが思い浮かんだ。つまり、自分は支援しに来たわけではないことに気が付いた。自分はここに学びに来たんだ。そんで、そのついでにモザン人たちに学習してもらう。だから、~~~しなきゃいけないとか、~~~は知ってなきゃいけないとか、もうどうでもいいや。

 

協力隊として来ててこの考え方はよくないことなのかもしれない。でも自分はこう考えないといつまで経っても訳わからない負のループから抜け出せなかったと思うから、これは自分の中では真実なんだと思う。

 

それまではいろんなことの「通説」とか「常識」を意識しすぎてて、「こういう風にやるべき、こうでなければならない、さもなくば支援できない、支援しない。」そんな堅苦しいことばかり考えていた。自分で自分の行動を縛っていた。自縄自縛。

 

自分と同じような悩みを持っている隊員がいたとしたら、自縄自縛って可能性はかなりあるんじゃないかなぁ。知らず知らずのうちに自分で引いていた線。無意識にやっているから、なかなか気づけないんだろうけど。

でももし気づけたんだとしたら、一回全部取っ払って考えてみた方がいいかもしれないね。なんで自分がここにいるのか。何がしたくてここに来たのか。その結果自分は、支援というものを後からついてくる付属物として考えるようになってしまったけど、それでも支援という考えに搦めとられて動けなくなるよりかは100倍マシだと思う。

どっかのタイミングで「支援しよう!」って気持ちになったらもっといいんだろうけど。

 

そんなことを考えて、気づいて、ひらめいた10か月だった。早いか遅いか、わかんないけど、とりあえずマイナス地点からゼロには来た気がする。活動っぽい写真も大事だけど、活動っぽくなくてもちゃんとした活動をすることも大事だなぁと再認識した気がする。同期の隊員とかなり差が広がっている気もする。

 

とりあえずブログは改めて継続しつつ、FBにも投稿をし、ポル語も勉強し、マクア語もテキスト作りをやり、英語もちょっとやり、さらには家庭菜園もやる。。。おっと、自分が獲得したい知識を得るためにモザン人にも協力してもらいつつ彼らにも何らかの手法や考え方を学習してもらうという活動も忘れずに行う。

 

長ったらしくなったけど久々のブログはこんな感じにしたいと思います。

 

Mpaka melo!!

 

54年前の今日と最近の出来事

本日モザンビークは国民解放軍記念日(別名:軍人の日)ということで、仕事は休み。

小倉です。

ちなみにこの国民解放軍記念日ってのは、ポルトガルとの独立戦争を正式に始めた日のようです。1964年だから、今から54年前。記念すべき(?)開戦の火蓋を切る弾丸を放ったのは、現在も生存する大御所政治家のアルベルト・シパンデ。独立戦争を(物理的に)始めた人間がまだ国の中枢にいるってのは、国としての若さを考えさせますね。例えが雑だけど坂本龍馬がまだ生きているみたいな感じでしょ?まぁそんなことは有り得ないんですけど。

 

実は最近はイベント盛りだくさんだったんですよ。

分科会はこないだ書いたけど、それ以外にも

  1. 先輩隊員のデスペ(いわゆるお別れ会的な)
  2. モザンビーク島の日
  3. モナポの日

なんてのがありましたので、今回はその辺を書こうと思います。

 

 

先輩隊員デスペ

1年に4回の入れ替わりがある協力隊では人の出入りがめちゃくちゃ激しいんですが、人気を全うした隊員を送り出すときには盛大にお別れ会をします。といっても最初の方は送り出す人間のことがあまりわからないまま参加する、なんてのも割とあることなんですが、自分もモザンビークに来て8か月経ち、今回の隊員くらいから自分の中で色々と思い出的なものが出来ていたので、結構食らいました。

詳細は割愛しますが、ざっと写真だけ紹介します。

なぜか。

自慢したいんで!!

ショーカスやべー!!!

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入り口

 

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ビール(エィシッ)

 

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男女



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準備中

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ドヤ顔

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集合

 

 

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今回の主役

 

とりあえず、デスペはこれで終わりますw

 

 

モザンビーク島の日

なぜこの日なのか、1818年に何があったかは分かってないんですが、とりあえず9月17日はモザンビーク島の日なんですね。

そんで今年はちょうど200周年記念!モザンビークの大統領に加えてポルトガルの大統領や前アメリカ大統領のオバマが来るとか、いろんな情報が飛び交っていましたが!

 

結果だれが来たか!

 

よくわかりませんでした。でもとりあえずモザンのニュッシ大統領は来てました。

 

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女性の手を取り華麗にターンをさせるニュッシ大統領

 

望遠レンズ持って行っていればもっとでかく撮れたのに。。。せっかく持ってきていたのに。。。

でも想像以上に近いところにいて、結構びっくりした。多分距離にして10メートル弱くらいかな。

隣の白人がだれかわからんのだけど、、、BCIの社長とかかな。

 

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偉い人(多分)とダンサリーナ

 

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躍動するマクワの女性たち


実は当日で祭典っぽいのを見たのはここだけで、あんまりそれっぽい写真がないんですよね。。。どうせ遅れるだろうとか適当なことを考えていたら意外とオンタイムで進められてしまったw

あと、なぜか記念式典が島ではなく大陸側の集会所で開催されることになってたのもあったか。まぁそんなわけで、当日の様子はこれくらいしかないっすわ。

 

ただ、実はオチーバ祭りっていう前夜祭もやっていて、そこで日本食紹介してたのでその様子もざっと紹介します。

 


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おにぎり、味噌汁と肉じゃがを紹介したんだけど、予想に反して肉じゃがの売れ行きが悪い!おにぎりと味噌汁は外国人でも多少馴染みがあるのか結構売れるんだけど、得体のしれないスープのようなもの(=肉じゃが)は最後まであまり売れなかった。

仕込みの時間が足りず水気を飛ばすまで煮込めなかった、肉じゃがを盛るための器を購入してもらう必要がある、などの要因はあるけれども、おにぎり味噌汁に比べると肉じゃがが受け入れられないというのは、勉強になった。

 

あと、日本の国旗をこれでもかとアピールした服装はめちゃくちゃ人気だったw

 

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いわゆる日の丸背負ってる状態ですね

 

 

モナポの日

土曜日9月22日はモナポの日でした。モナポはナンプラ州にある郡の一つで、同期のゆーりが赴任してます。そこでソーラン節を披露しようということで、他のナンプラ隊員2人と共にモナポへ。なんと自分の担当調整員が昔ボランティアで活動していたころの当時の上司(所長)がそこの郡長になっていたこともあり、調整員の安原さんもソーラン節に参加していただくことに。

 

モナポではあの、市街地を高速で走行する

 

モナポグランプリが開催されていました!間近で見るモナポグランプリはスピード感満載で興奮が抑えられないほど、、、すんません写真はないです。

 

 

そんな中でやってきました。ソーラン節。

かなり盛り上がったと思います。中国人ではなく日本人だということを認識してもらえたかなぁ。。。

あと、とりあえず、腿が爆死してます。

ソーラン節を毎日踊るだけで筋トレ兼ダイエットなるなこれは。

 

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助っ人のモザンビーク島の子供たちと共に

 

 

どうでもいいんだけど、家の庭に猫が住み着いている。。。

このまま飼ってしまうか。。。

農業分科会を開催してもらいました

2か月ぶりくらいにちゃんと顔を合わせた同僚から、「くそ太ったやん」と言われてしまいました、どうも小倉です。アフリカでも結構余裕で生きれています。

 

6月末に総会が終わってからというもの、イニャンバネ外遊、長期休暇と任国外旅行、さらにまたイニャンバネでの分科会とかなりの期間で任地を離れ、旨いものに溺れていました。

そら太るわ。

 

前回までの記事で任国外旅行までは書きましたので、ちょっと前のことだけど今回は分科会について書きたいと思います。

「国民の皆様に対して協力隊のことをより良く理解してもらえるように広報活動するのも協力隊の仕事」ですから。

 

 

分科会とは

まぁ読んで字のごとく、「科目ごとに分かれて会を開く」ってことです。現在モザンビークには約50人の隊員がいますが、様々な職種が存在しています。音楽の先生、理数科の先生、日本語教師、薬学の先生、看護の先生、環境対策の公務員、などなど。そんで、自身の活動をよりスムーズに、効果的に進めるために「類似の職種の隊員で合同勉強会しよう」とか「外部講師を呼んで講義してもらおう」ってのが分科会になります。団体視察みたいなのも分科会に入るのかな、多分。

 

自分はコミュニティ開発隊員として、任地のSDAE(経済活動事務所)で主には農業セクターで勤務していますが、日本でだって農業なんかやったことないから農業知識なんてなんもない。加えて土地も違えば気候も違い、さらに(当たり前だけど)言語が違うから知っていることも知らない様にしか感じられない、という最悪の状況だったわけです。

 

そんな時にまさに渡りに船。農業隊員で分科会やるよとのこと。

 

行くっきゃねぇ。

 

ってなわけで、イニャンバネ州ジャンガモ郡にて開催した農業分科会に参加してきました。

 

 

今回の分科会の内容

今回の分科会では、

  1. モザンビークに於ける土壌の基礎知識
  2. 野菜栽培のための基礎知識
  3. 水稲の定植方法(及び水田の作り方)
  4. 陸稲の播種(はしゅ)の方法

以上4つについて学習いたしました。主に上2つは座学、下2つは実習ですな。

 

今回の分科会は外部講師こそ呼んでいないものの、農学部出身の隊員が2人いて彼らが講師役をやってくれました。内容については細かく書かないけど、本当にためになった。次に分科会があるときには、自分たちが主体となってやらなければならないタイミングだと思うけど、あそこまでできるだろうか。。。こっから経験積むしかないっすな。

 

実習では現地の農家と汗を流して作業をしました。

現地人と同じ鍬を握り、同じ釜の飯を食い、同じ酒を飲む。

血の通ったコミュニケーションってやっぱり大切だなと、心底感じた瞬間でした。

実習地を提供してくれた同期には頭上がりません。

俺も任地で頑張るかぁ。。。

 

 

分科会の様子

文字で伝えるのが色々と難しいので、写真を貼っていきます。雰囲気だけでも感じてくれたら最高。と思ったけどなぜかもらった写真が貼れなかった。。。クオリティ落ちるけどギリギリ自分のカメラで撮ったやつ使います。それでは。

 

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ジャンガモの農場!

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農作業

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唯一のアップ写真

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畑を整えている

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作業とカメラマン

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陸稲の播種

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陸稲の播種 その2