Allgood-Life!! バカンスはモザンビークにて。

コミュニティ開発隊員として2018年1月から2年間、モザンビークのリバウエという田舎町に行ってます。おいでよリバウエ

ネガティブ隊員

20173次隊として赴任してからすでに10か月が経過し、あれよあれよと言う間に後輩隊次が入ってきて新入りから先輩への変身を遂げつつある。なんと今月末には、3つ下の隊次である20182次隊が任地赴任になるのだ。

 

自分が入国してきたときには1つ上の隊次でもめちゃくちゃ先輩に見えた。3つ上の隊次とかもうモザンプロみたいな感じに見えた。活動バリバリやってて半端な!みたいな。「いやー自分の活動なんてまだまだで。。。」とか言っている先輩を見て、「いやいやめちゃくちゃ活動してるやん」とか思ってた。

 

あの頃は1年も経てばポル語も現地語もそれなりにバシバシ話してガツガツ活動して我ここにありみたいな感じでモザンビークって国に自分の足跡を残し始めていると思っていた。自分が入国したころに思い描いていたイメージの先輩像に自分は今なれているだろうか。

 

 

 

 

 

むり

 

 

 

 

 

見ず知らずの土地で自分が思い描いていた活動をするって本当に難しいものなんだと痛感する毎日。そもそも具体的な活動イメージすら描けていなかったから本当に訳わからずに時間だけが過ぎていった感じがする。

 

アフリカに来て何やってるんだろうなぁ。

俺なんの活動しに来たんだっけなぁ。

そもそも支援するって言ってんのになんもスキルねぇんだよなぁ。

 

「最初の3か月は(生活に)慣れるのが仕事だから。。。」

「半年くらいはうまくいかなくても仕方ないでしょう。。。」

「活動が軌道に乗るには1年くらいかかることもあるからさ。。。」

 

そんな甘い言葉に乗っかって、もう本当につい最近までグダグダしてた。

自分がどんな活動をすればいいのか、よくわからない。

→ よくわからないから、まともに動けない

→ 動かないから、自分に自信がなくなる

→ 自身がないから、余計にどんな活動をすればいいのかわからなくなる

「支援しなきゃ。援助しなきゃ。」の固定観念が強すぎて、上みたいな負のスパイラルに巻き込まれてた。

 

これは巻き込まれたら出てくるのが大変だね。

同期で活動頑張っている隊員、日本で(または世界のどこでも)精一杯生きている友達をSNSなんかで見た日には他人への羨望と自分の未熟さに泣きたくなる。

でもなぜか、またスマホを手にもって開いてしまう。禁断のSNSを。

 

見たら羨ましい気持ちにしかならないのに、なんであれもう一回開くんだろうなぁ。やっぱ「自分もこうなりたい。こうやりたい。」っていう気持ちが表れているんだろうね。

 

今回この記事を書こうと思ったのは、自分が落ち込んだ時に同じような人がいないか検索してみた(協力隊 悩み。コミュニティ開発 悩み。など)んだけど、あんまり悩んでいる人が見えなかったから。(最終的にはJICA協力隊botの度重なるつぶやきにより励まされたw)

悩みを克服した人から悩んでいる人へのアドバイス的な奴はあったんだけど、なんか上からモノ申されるの嫌でw 悩んでいるんだけどポジティブな悩みの人とか単純に考え方がポジティブな人が結構多くて、それはまぶしくて見れな(見たくな)かった。協力隊ってポジティブな人多いなって改めて思った。

今考えたら、活動が始まっていなくて絶賛お悩み中の隊員がブログに「自分悩んでます」みたいな記事は投稿しないわな。だって具体的に文字に起こすほどの活動の悩みがないわけだから。悩みが顕在化してないし言語化できないんだよね。

 

だから、協力隊の活動開始フェーズで悩む人が、「あぁよくわからんけどこいつも悩んでんだなぁ」って思えるブログがなんか書きたかった。

生産性はないと思う。なぜなら弱いものが傷を舐めあっているだけだから。でも、共感ってのは大事なことだと思うんだよね。それがどんなことであっても、共感するだけでなんだか違った側面から物事を考えたりできるから。悩む主体が「自分→相手」になって俯瞰できんのかな。そう思ったら、少しは生産性あるのかなw

 

どうしようもない悩みの連鎖から抜け出るのは、少し大変かもしれない。あと、こうしたらいいみたいな特効薬とか多分ない。最終的にはそれが効くかもしれないんだけど、それが行動に移せているころにはすでに悩みから脱出しているんだと思う。今考えれば、俺はただひたすらに、なんかタイミングを待っている感じだった。自分の考えが転換するタイミングを。で、それはなんかふと訪れた。

 

自分は「支援しなければならない」という考えに取りつかれていた。でも、「語学」が出来なくて「専門知識」もない場合に一体何が支援できるだろうか。どうやって支援できるだろうか。俺はここで立ち止まっていた。

 

そんな時にそもそもなんで協力隊に応募したのか考えてみた。一番の理由は世界を広げたいからだった。国際協力でも支援でもない。自分が知っている物事、価値観、生活の知恵、土地、宗教、全部含めて広げたかった。だったら、ここで世界を広げるために必要な出費は自分が払うとして、自分の世界を広げるために周りのモザン人たちに手伝ってもらえばいいじゃん(もっというと、モザン人をうまいこと使えばいいじゃん)という考えが思い浮かんだ。つまり、自分は支援しに来たわけではないことに気が付いた。自分はここに学びに来たんだ。そんで、そのついでにモザン人たちに学習してもらう。だから、~~~しなきゃいけないとか、~~~は知ってなきゃいけないとか、もうどうでもいいや。

 

協力隊として来ててこの考え方はよくないことなのかもしれない。でも自分はこう考えないといつまで経っても訳わからない負のループから抜け出せなかったと思うから、これは自分の中では真実なんだと思う。

 

それまではいろんなことの「通説」とか「常識」を意識しすぎてて、「こういう風にやるべき、こうでなければならない、さもなくば支援できない、支援しない。」そんな堅苦しいことばかり考えていた。自分で自分の行動を縛っていた。自縄自縛。

 

自分と同じような悩みを持っている隊員がいたとしたら、自縄自縛って可能性はかなりあるんじゃないかなぁ。知らず知らずのうちに自分で引いていた線。無意識にやっているから、なかなか気づけないんだろうけど。

でももし気づけたんだとしたら、一回全部取っ払って考えてみた方がいいかもしれないね。なんで自分がここにいるのか。何がしたくてここに来たのか。その結果自分は、支援というものを後からついてくる付属物として考えるようになってしまったけど、それでも支援という考えに搦めとられて動けなくなるよりかは100倍マシだと思う。

どっかのタイミングで「支援しよう!」って気持ちになったらもっといいんだろうけど。

 

そんなことを考えて、気づいて、ひらめいた10か月だった。早いか遅いか、わかんないけど、とりあえずマイナス地点からゼロには来た気がする。活動っぽい写真も大事だけど、活動っぽくなくてもちゃんとした活動をすることも大事だなぁと再認識した気がする。同期の隊員とかなり差が広がっている気もする。

 

とりあえずブログは改めて継続しつつ、FBにも投稿をし、ポル語も勉強し、マクア語もテキスト作りをやり、英語もちょっとやり、さらには家庭菜園もやる。。。おっと、自分が獲得したい知識を得るためにモザン人にも協力してもらいつつ彼らにも何らかの手法や考え方を学習してもらうという活動も忘れずに行う。

 

長ったらしくなったけど久々のブログはこんな感じにしたいと思います。

 

Mpaka melo!!