Allgood-Life!! バカンスはモザンビークにて。

コミュニティ開発隊員として2018年1月から2年間、モザンビークのリバウエという田舎町に行ってます。おいでよリバウエ

モザンビークの普及員のお仕事=商社?(モザン5か月)

相変わらず現地の子供からは

モコニャー と言われていますが、それ以外の普通の人からは

たちゅー もしくは たちゅーや と呼ばれています。

 

小倉です。

 

ほんまに「つ」って発音しづらいんだろうなー。

 

同僚からはギリギリで「たつーや」と呼ばれています。どっかにアクセントないと本当に嫌なんでしょうねw

 

実はアフリカに来たら自動的にアフリカンネームが授けられると思っていて、どんな名前が付けられるのだろうか、って考えていたんですが、なんもなかったですw

でももし和名以外の名前が欲しいと少しでも思ったら、「付けて!」って頼んじゃったほうがいいんでしょうね。読んでる人知り合い以外ほぼいないからあんまり波及効果はないんですが、今後海外で一定期間生活しようと思っている人は、恥ずかしがらずに「名前つけてよ!」っていうことをお勧めします。

 

 

さて、自分の隊次が到着する直前の隊員総会で、「今後総会は年1回ではなく年2回とする」ことが決まり、それ以前よりは多くマプトに公費で上がれることになりました。そんで前回の記事にも書きましたが、今月末に初めての総会があるので、公費で首都に上がれます。うれしい!実はふつーにテンション上がっている。

 

なんだかんだ言うてやっぱり田舎はあまりモノが揃わないし、近くの都市(ナンプラ)に上がっても食べるのは中華ばかりで少し飽きていたので、首都滞在中はいろいろと旨いものを食おうと思っています。

 

それに本当はトーフビーチに行きたかっただけなんですがこの機会に南部のイニャンバネ隊員の活動も見ようと思っているので、できるだけ有意義な滞在にしようと色々考えています。

任地の活動は相変わらず相方の普及員にくっついていって、話を聞いて、帰る、という本当にそれだけのことしかしていないんですが、それでも時期的にはもうすぐ活動計画を作成しなければならないタイミングになっているので、周囲の活動を見ることは自身の活動計画を作成する上で大きな参考になる!たぶん。

 

まだまだ活動計画が立てられていない中で悠長なことをと考える人もいるかもしれませんが、他の隊員やSDAE(郡経済協力事務所)の普及員がどんな活動をしているのか、やっぱり自分のところと比較して参考にしたいじゃないですか。

 

そういうわけで、スロースターターではあるのですが尻上がりであることを信じて、総会に加えてイニャンバネ外遊視察してきます。

 

 

で、それに伴って自分の相方普及員の仕事を考えてみると、なんか自分が思っていた普及員とか他の人の話に聞く普及員とはちょっと違う気がするんですよねー。

 

自分が想像していた普及員(他人の話も含む)

  1. 畑を回って農家に色々と指導する
  2. 畑を回って種を配る
  3. 農民組合に顔を出して運営補佐的なことをする
  4. 自分の畑(PITTAだったか?)を作って模範農場とする

 

相方

  1. 畑を回って農家に色々と指導する → ボチボチやってる

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    なんか根っこを見てアドバイスしてる
  2. 畑を回って種を配る → まぁやってる
  3. 農民組合に顔を出して運営補佐的なことをする → まぁやっている
  4. 自分の畑(PITTAだったか?)を作って模範農場とする → 模範農場はない(これから作るっぽい)けど自分で農場を持っている(しかもでかい)

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    豆の畑(Feijao 何とか。名前忘れた)

  5. 地域の大農家兼農業用品店店主と共同して、種・肥料のツケ払いプロジェクトをやっている(使用した種と肥料の費用を収穫・売却時に返済するというもの。いわゆる与信取引でしょうか)
  6. 優良な買い手(顧客)を知っていて、農家に対して買い付け代理人的なことをしている
  7. 周辺の大農家が所有(占有?)している機械を他の農家に活用させるにあたっての仲介業務をしている

 

今が穀物の収穫時っていう、時期的なこともあるんだろうか。でも後半のウェートが明らかに高くて1,2,3,4はあんまりやっていないんですよね。

で、この5,6,7ってまさに商社業務なんですよね。多分日本だとJAがこういう機能を持っているんだろうな。よく知らないけど。おやじJAだったけど。

 

そんで自分のミッションである「現金収入向上」「市場アクセス」とかの観点から考えると、こいつがやっていること、めっちゃいい。

こいつの能力あったら多分リアルにアフリカで農業ビジネスできる。

 

ので、こいつの仕事っぷりはマジで真似したい!

でもハードルが高すぎる(現地語、農業知識、市場知識)!!

 

というわけで、目の前に素晴らしい教材・模範がありながらもあまりにもハードルが高く下をくぐるしかないと思う場合、どんなくぐり方をすればいいのか。

 

そのヒントが見つかればなんか活動計画とか行けそうな気がするんですけど(強気)

 

とりあえずはやっぱり語学ですかね。日頃さぼっていたポルトガル語も、現地語も、活動が(上手くいか)ないことを理由にしていましたが、なんかそれなりにぼやっとしてくると、めっちゃやらなきゃやべぇって焦りが出てきますね。

 

やべぇ

うへぇ

 

とりあえず、今日は飯食って寝ます。

なんか最近、ハードルが高いことを理由にして全部から逃げている気が。。。

 

zzz

三十路の夜に

ただ今、ナンプラからリバウエの帰り道。寝ちゃダメよーと運転手にケアされながら、ブログ書いてます。

今日のシャパはいつも以上に混雑してて、かるく20人超えてますね。本当に芸術の域。総走行距離は36万キロを超えるトヨタハイエースですが、快調に飛ばしています。くだらない事だけど、「壊れにくい」という、どシンプルながらも、だからこそとても重要な理由で日本車が支持されているのは、日本人として少しだけ誇らしかったりする。

 

前回の投稿から少し時間が空きました。と思ったけど、別にそんな空いてないっすね笑

 

ひたすら同僚に同行して農場にいき、現地語の勉強(という名のおしゃべり)をし、帰宅しては同僚に飯を食わせてもらうという、パッと見では充実した活動をしてます。農家で出されるご飯もお腹を壊す事なく食べられており、想像以上に頑丈に産んでくれた母に感謝。

 

私ごとですが、おかげさまで長かった20代に別れを告げ、ついに30になりました。アラサー卒業。アラサーっていうか、サー!

日本を遠く離れたアフリカの地で大台に乗るとは、去年は考えてませんでしたが、人生なにがあるかわかんないもんです。

記念すべき30の夜は、

 

何もなく!

 

過ごすことになるなぁと思っていたら、ピースコーの友達が連絡をくれて一緒に祝ってくれました。ありがてぇ。

 

しかも、3月に彼と出会ってから実現できたらいいなぁとちょっと考えていた、協力隊×ピースコーのナンプラ隊員交流会も実は昨日開催できた。

予想よりもめちゃくちゃ早く実現できた!

お互いに全員参加というわけにはいかないけど(向こうはナンプラ州だけで50人くらいいるから、多分全員参加は無理)、なかなか予定合わなくて半年くらい後になるかなぁと思ってたから、めちゃくちゃスムーズな開催だった。

帰国までの一年半、あと何回できるかなー。

 

ディエゴ、店のチョイスと友達呼んでくれてサンキュー!君はメシアだ!

リバウエで野球流行らそう。本気で。

 

ただ一つ後悔、写真撮り忘れた。めっちゃ、悲しい笑

 

あと、農家の飯はお腹壊さないのに、なぜかナンプラの食事でお腹壊してる。なんでや。日本帰ったらどうなるねん。笑

 

 

今週はリバウエの日で金曜日は休み!そんで土曜日は先輩隊員のデスぺでイーリャ!

来月は総会で久々のマプト!そして総会後に予定するイニャンバネ視察!

7月後半から8月半ばまで任国外旅行でザンビアマラウイへ!

 

夏季休暇が開けたら、活動も本格的にやっていかなければならない。できるかな。本格的に始動できるか。

 

自分はあくまでもボランティア。2年で出て行く。だから理想的には2年後も残る活動をしていきたい。でも2年後も残る活動ってなんだ?それは2年後も残ることを(残すことを)目標にやるものなのか?別に活動自体は残ってなくてもなんらかのメリット・気づきがあればいいんじゃないのか?そもそも自分の2年間の活動って、計画を立てた上で計画的に遂行しなきゃいけないものなのか?なにが問題かもわかってないのに、解法を書くなんて不可能じゃないのか?そしたら問題を明らかにするための調査に来ましたってことにしたらいいのか?調査に来たけど問題はありませんでした、ってことはあり得るのか?問題を明らかにするための調査に来ました、ってボランティアはあり得るのか?調査機関に配属されたわけではなく、経済活動の実行機関に配属されているのに?全然貢献してなくないか?相手が認識していない、潜在的なニーズに対して活動をしていきたいが、いつまで経っても相手がそのニーズを認識しなかったら、いつまでもニーズが顕在化しなかったら、自分の活動に理解は示されるのか?暮らしを良くするために来ましたって言って、どんな暮らしをしてるかも知らずに何を提言するのか?現地の暮らしと価値観が分かったとして、諸々の事情からその改善が本当に難しい場合には何を提言するのか?

一体自分は何しに来たのか。

 

そんなくだらない事を考えたりする。

 

専門性と明確な使命を持たない、コミュ開の泣き所だろうか。

 

話逸れるけど、スペシャリストかゼネラリストかっていう論争あるじゃないすか。

あれ、今多分世間では「スペシャリストになるべき!」って言われてると思うんだけど、俺は何度考えてもゼネラリスト志向なんですよね。

無個性。器用貧乏。キョロ充。いい人止まり。

そんなネガティブなイメージが増えるゼネラリストですが、いつかゼネラリストにも陽の目が当たる事を期待して、

 

本でも読みますかね。帰宅したし。

 

写真は本文とは全く関係ありません。ただの雰囲気づくりです笑

 

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追記 尚也さん、こーへーさん、勉強会ありがとうございました。冗談ではなく、為になりました。

それっぽく順調なモコニャ(モザン4ヶ月経過)

☆親愛なるブログ読者の方々へ

ブログ更新はFacebookでも不定期で連絡しているのですが、Facebook上の友人でない方、またはFacebookで自分の投稿を見えないようにしている方は、ブックマークかなにかをして頂けると、大変助かります。

 

 

なんかわかんないけど昨日帰ってきたらフラフラしてたので

早めに就寝(19時前)したら変な時間(午前2時)に起きてしまってます。

 

日本の裏側、地球のへそ、ホモ・サピエンス生誕の地、人類最古の壁画とみかんが眠る町リバウエより

(全て大嘘)

 

小倉です。

やっぱり「ツ」が難しいのか、ここではタチュヤ、タトゥヤなどと呼ばれてます。

子供たちからはモコニャと呼ばれてます。現地語でモコニャ=白人

モコニャって、ちょっとかわいい

 

モザンビークにきて4ヶ月も経つのに、もうポルトガル語を習い始めて7ヶ月も経つのに(衝撃)、まだまだ自分の語学力のなさに愕然としながら、活動と言えるか言えないかのギリギリの線をぶっちぎりで踏み外しているかのごとく、

ギリギリで生活してます。

 

さて!

バイクが来てからというもの、フィールドワークの頻度が格段に上がり、「あー!、、、っぽい!」と思う風景や状況に出くわす頻度も格段に増えてきて、「悩みすぎて頭がハゲちゃいそう。」

なんて考えてたんですが、慣れというのは恐ろしいもので最初はドキドキだったバイクも無心で乗ってるし、現地人のつまらんいざこざに巻き込まれたらたまらんなぁと、およそ協力隊として国際協力・支援に来ている人間としては考えてはならんことも考えたりしてる、最近です。

 

こっちだって人間だよ。楽したいわ。

 

現地での生活者としての感覚と、よそ者(協力隊)としての感覚とのバランスが、やっぱすげぇ大事だし難しいんだなと。再認識しとります。

 

よく知らなかったんですが、今は収穫の時期なんですかね。同僚の畑(家で持ってるもの?)でトウモロコシと豆の収穫があるというので、手伝いに行きました。

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以前にブログで書いたかもしれないけど、この畑、めちゃくちゃでかい。

 

大豆 2ヘクタール

ササゲ 2ヘクタール

トウモロコシ 2ヘクタール

キャッサバ 5ヘクタールくらい

 

他にもいろいろあって、全部で20ヘクタールくらいあるんすよ。

 

これ、作業機械化してないからね。

手作業。

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アフリカ、半端じゃないっすわ。

単純な規模で行ったら企業とか米州の農家の方がでかいかもだけど、

伝統的な農法でこんだけの広さはなんか、すごいと思う。

 

ちなみにさらに衝撃だったのが、20ヘクタールというのが畑だけということ。

 

畑のすぐ脇にまだ開墾してない草ボーボーの土地とか、後ろに山とかあるんだけど、

 

土地面積でいうと、200ヘクタール持ってるらしい。

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いわゆる、地主ってやつですか。そーですか。

 

今日は首都から農業省の御役人が来て、農場視察するみたいで、帯同しようと思ってます。

 

来週も収穫は続くので、引き続きそれっぽい写真と活動らしきものをお届けします。

 

バッカメーロ(現地語でまた明日の意味)

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モザンビークでも上の決定が遅いばかりに現場が苦労するというのはよくあることの模様。

 

具体的に言えば、来ると思ってた人(お客、お偉いさん)が直前で来ないと言い出す。延期?

 

明日やるぞ!と決まったためにわざわざ準備しに片道1時間かけて行ったのに、直前でフィールドデイがなくなる!延期?

 

州知事が来てたんだけど、帰り間際に「パパイヤと粟食べたい」と言い出したので、急いで探しに行く

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上手くワークしないかもしれないが、予見しといて事前に対策打てないかなー。だって、バタバタするし疲れるから。

 それがこっちでいう仕事なのかもしれないが。

色々来た1週間(モザンもうすぐ4ヶ月)

どうもこんばんわ、小倉です。

 

このブログがインスタグラムに投稿したもののまとめ的要素になっている感は多少あるのですが、まぁ見ている人が違うと思うし、書かないよりは書いた方がいい!w

 

ということで、あと10日で4か月経過のモザンビークです。

めっちゃ大きな出来事がありますわ。

 

①バイク来た

 

漸くバイク来ました。よかった。道のりは長かった。

前回の記事を読んだ方にはわかって頂けるとありがたいのですが

 

やっぱり木曜日(任地離れる日)にバイク来てました。

ただでさえでかいものなんじゃ。

一言くれ。

 

配属先の事務所で週明けまで預かってもらったので最終的にはAll okにはなってるんですが

この辺はやっぱり日本とは違うなぁと。

 

しかしながら、実はまだバイク乗れません。なぜか

 

②免許が来ねぇ

 

来ねぇというのはどういうことか、説明しますと、

首都滞在中(2か月くらい前)に免許を発行するための必要な手続きをやったんですよ。

具体的には筆記試験を受けるために大使館行って書類作ってもらったり、写真撮ったり、サインもらったり、勉強したり。

そんで筆記試験に何とか合格して、それで晴れて任地赴任だーってなってたんすよ。

 

普通にここ(モザンビーク)で免許を取得するとなると勿論実技試験も必要なんですが、日本で二輪免許を取得しているので、日本の免許と筆記試験の合わせ技で行けるっていうのが、それまでの認識でした。

 

ところが、なかなか免許が発行されない。

なぜか。

 

モザンビークの免許発行組織が、日本の免許証原本の保管を条件にモザンビークでの免許を発行すると言ってきているんですね。

突っ込み① いやいや、お前ら日本語読めんやん

突っ込み② だから大使館で日本の免許証の内容証明ポルトガル語でしてるやん

突っ込み③ そもそも日本の免許証をモザンビーク側が管理する意味あんの?

突っ込み④ しかもこれまで何人かの免許証を保管するって言って無くしてるやん

突っ込み⑤ JICA的に何年もこの話してるやん、なぜ伝わらん

 

とまぁ、突っ込みどころは満載なんですが、やっぱりいろいろと難しいですね。

つーわけで、バイクあるけど乗れないという、さらにもどかしいことになってます。

でもJICA側もこの事態を打開すべく、あらゆる選択肢を視野に入れて行動しているようで(北朝鮮の報道みたいな言い方だなw)、少しだけバイク乗車の可能性が見えてきました。

漸く活動できるかな的な感じになってきました!

 

うれしー。

 

そんな感じでいたら、まさに活動でBIGなことが起こりました。

 

③ 謎の訪問者が来る

「今日は大臣が来るからな!」と言われ、農家集団の元に向かうある日。

大臣が来るのはすげぇなぁ。と思いながら、あれ、でもなんで大臣クラスの人が来るのにSDAEからは普及員のお前(若造)と俺だけなの?所長とか来ないの?

 

そんなことを思っていたら

「地元政府のシェフ(部長的なポジション)が来るんだ」という言葉に代わり、

 

まぁそのくらいの人だったら所長とかいなくてもいいのか、

 

そう思っていました。

 

そして現れたおばちゃん。

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家に帰って経歴調べて衝撃を受けた。。。早く言ってくれよ。。。

 

「へー、上のポジションに女性がいるんだ。日本よりもジェンダーフリー進んでるなぁ」

 

なんてことを思ったり、

こんな感じで白人の女性に通訳(英語)しているのを見て、

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べらべらに通訳してました

 

「うわーモザン人だけど英語上手いなーこのおばちゃん。地元政府の部長レベルでこんなにできる人いるんだ」

 

なんてことを思っていました

 

そんな感じでイベント自体は終盤に向かっていったのですが、最後に訪問者の自己紹介的なコーナーがあり、そこで死ぬほどびっくりしました。

おばちゃん曰く

「私の名前はGraça Machel。サモラマシェルの妻です」

 

ん。まて。サモラマシェルって、モザンビークの初代大統領じゃないか?確か30年くらい前に飛行機事故で亡くなっているけど、その妻だったの?

 

、、、(元)ファーストレディーじゃん!!!

 

周りを見ると、みんな当然そうな顔をしている。当たり前か、自国の初代大統領夫人なんだから。

このおばちゃん英語上手いなーなんて、馬鹿なことを考えていたもんだ。

そんなことを思いながら、同僚に驚いた顔を見せ、農民たちにも「あの人が大統領夫人だったの?」とか聞いてセレモニーが終了し、帰宅することになりました。

 

そんで、疲れたーと思いながら「サモラマシェル 妻」で検索してみたところ

 

グラサ・マシェル - Wikipedia

同じ年の1975年にモザンビーク初代大統領サモラ・マシェル(1933 - 1986)と結婚するが、彼は航空機事故(en:1986 Mozambican Tupolev Tu-134 crash)で亡くなり未亡人となる。その後、1998年に当時の南アフリカ大統領ネルソン・マンデラ(1918 - 2013)と結婚し(結婚した日はマンデラの80回目の誕生日だった)、異なる2カ国で大統領夫人となった初の人物となった 

  

南アフリカのネルソンマンデラの妻でもあった。

つまり、世界でただ一人、2つの共和制の国で大統領夫人をしたことがある人だった

 

 

いや、ガチで歴史的人物やん

これまでずっとおばちゃんとか言ってて本当に畏れ多いわ。。。

 

人生で喋ったことのある偉い人ランキングで確実に1位じゃん

人生で握手したことのある偉い人ランキングでも確実に1位だな

いや人生で会ったことのある教科書に載りそうな人ランキン(ry

 

というわけで、もう少しこの国の歴史と文化を勉強しようと思いました。

2ショット取っておけばよかった。。。笑

 

今週はさらに続く

④ 大臣との面会

 

くるくる言ってた大臣は別の場所にいたらしいです。SDAEの所長と一緒に。なるほど。それで所長はこっちには来れなかったのか。それは仕方ないな

 

なんて思っていた矢先、「土曜日に大臣と会議があるから、お前も来い。ナンプラだ。」

 

ということで、土曜日に大臣にも会ってきました。

こっちは会ったといっても、州内の普及員(250人くらい)を全員集めての意見交換会みたいな感じだったので、別に直接話したわけでもなかったんですが、なんか今週はえらく偉い人に会う機会が多かったなぁと。

 

まぁ、偉い人に会ったところで俺は主役ではないし、農家並びに普及員の縁の下の存在でしかないから、あんまり意味はないんだけどね。

ただなんでしょうか。俺はやっぱり偉い人に会うとなんか気が引き締まります。バカなんですかねw

 

 

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悩みというほどの悩みではないですが、普及員との距離をどうするか悩んでます。

いつも一緒に行動している同僚はめちゃくちゃでかい畑を持っていて、そこで農家たちを働かせているんだけど、仕事の条件に関して結構議論しているんですよね。多分、「もっと早く払え、もっと寄越せ」と言う農家に対して彼は「いやだ」と言っている。

俺の元々の派遣内容は、零細農家が確りと食べていけるように、現金収入を増やす手伝いをすること。おこがましい言い方ではあるが、要するに、俺が助けなければならない人は目の前で議論している農家であって、普及員ではない。

 

だけど、SDAEで普及員として働くにあたって、同僚とは仲良くしていきたいし彼を突破口にして自分の活動範囲を広げていきたいとも考えている。

 

多分、今週、収穫を手伝ってくれと言われるだろう。

その時に農家たちは働いているのだろうか。

農家たちがその日、そこにいてもいなくても、俺は何を考えて何をすべきなのだろうか。

 

結論のない悩みが、また一つ顕在化した気がする。

祝? モザン100日!!

どもこんにちわ、小倉です。

 

タイトルの通りですが、本日がモザンビーク到着100日目!3か月ちょいかーって感じですが、2年間の任期(730日)だから、すでに約1/7が経過したことになるんですね。

既に後輩隊員(4次隊)も入国しましたしね。

パーセンテージに直すと、14~15%くらいですか。

 

いやくっそ早え。笑

焦りまくりですわ。まだ語学もてんやわんやだし。

 

モザンビークに到着して100日経つのに、すでに任期の1/7が過ぎているのに

なんもできてない。

これは、自慢でも何でもない、本当にみじめで情けないことですが、

本当に文字通りなんもできていないです。

 

なぜか。

 

自分自身の至らない点(語学、積極性、計画性、専門性すべての欠如)も確実にあるんですが、決定的にないものがあります。

 

足(交通手段)がないんです。

 

僕の任地、6,300㎢あります。(参考までにですが、我が故郷の千葉県は5,100㎢なんで、千葉県よりでかいですね。東京都は2,100㎢なんで、ざっと3つ分。笑)

 

そんで、そこに住む農家たちにいろいろ教えたりして、現金収入の向上を目指しましょうってのが、自分のミッションになります。(少し昔のものですが、ある書籍には「現金収入向上をうたったプロジェクトで成功しているもの:村人たちがプロジェクトから学び、プロジェクト終了後も継続的に実践しているもの:はほぼ皆無に等しい」という手厳しい指摘もありましたねー。うーむ。)

 

もちろんその全てのエリアをカバーするわけではないんですが、舗装された道は国道が1本走っているだけのもので公共交通機関はシャパと呼ばれる乗り合いバスのみ。

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シャパのイメージ画像

そのシャパも国道沿いは走っているけれども、自分の活動対象である農家、ひいては農場(畑)は国道沿いにあるわけではなく、国道(舗装された道)から外れて農道(未舗装の道)を30分とか1時間とかのところにあるんですわ。もちろん、徒歩ではなく車(バイク)でです。事務所or家からで考えると、合計で1時間~1時間半とかかな?

日本とは異なる環境の仕事を求めてアフリカまで来たというのに、なかなか難しいもんですねー。。。

 

 

、、、ここまで読んであなたはもうお気づきでしょう。

そう、今私は自分の活動が現時点でまだ上手くいっていないことに関して、

 

インターネットを通じて全世界に盛大に言い訳しているのです。

 

ごめんなさい笑

 

ただこうでもして世界に言い訳しないと自分の頭のバランス(これはこうあるべきだ、いやいやいろいろあって仕方ないやん~的な)が崩れてしまう危険性があるので、

 

勘弁してください泣

 

しかし!

そんな感じでしたが、今日漸く1本の連絡が参りました!!

「バイクを持ってくるぞ!」というものです。

 

よかった!これで自分は救われる!漸く協力隊らしい活動ができる!と思っていたんですが

 

「日時等々詳しくは実際の運転手から連絡するから。もう今すぐに(Agora mesmo: Right now)電話させるから。」と言われて電話を切られたのが4時間前。もちろん電話は現在までなし。

 

俺、明日明後日任地いないんじゃい。

持って来られても受け取れないよ?

 

モザンビークに限らず、アフリカ、南米、全世界に共通かもしれないですが、

「今」って信用できないね。泣

 

そして、なぜか、本当になぜかなんですが

 

「来いよ!」と思ったときは来ないけど

「来ないから(まだ)大丈夫だろう」と思ったときに来る。

 

このタイミングの悪さ。なんなんでしょうか。世界の七不思議にしてもいいんじゃね?

 

たぶん、明日バイク来るんだろうなー。そんで「持ってきたぞ!今どこにいるんだ?今は任地を離れている?じゃあこれ置いてくから。勝手にそっちで処理して」

 

って有無を言わさず置いていかれるんだろうなぁ。

 

日本のサービスって本当にすごいわ。神だよ。神。

 

そんなわけで、仮に明日明後日にバイクが持ってこられてしまった場合の対処法(と言っても、事務所の倉庫に保管するしかないと思っている)について、どうやって同僚に伝えようかなーと考えている最中です 。まぁ、そのまんま伝えるしかないんですけどね。

 

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事務所での暇な時間が腐るほどあったので、同僚とおしゃべりしながらいろいろと考えていました。帰国した後のこととか。

ミーハーな考え方ではあるかもしれませんが、いわゆるパラレルキャリアと言われるものに今興味を持っています。

協力隊後の王道:海外修士留学 → 国連、JICA といった道筋は、いわゆる国際協力に関わりながら十分な報酬をもらえる稀有なもの。しかし、組織自体が大きく、活動(業務の方向性)が政治に左右される可能性があり、自らの思いとは裏腹な国際協力をする羽目になってしまうかもしれない。また、基本的には現場から遠い。今改善しているみたいだけど。あくまでイメージです。

NGOは現場感がある仕事ができると思うが、報酬と大局観に欠けるイメージがある。仕事=人生という感じになりそうですね。

(JICAはインフラ系のプロジェクトがありますが)上記の2パターンだと多分王道は人道支援、貧困改善などがメインになってくるのではないかと考えていて、いま自分が現時点で感じている途上国(あえて使います)の生活上の問題点(いわゆるインフラ整備など)に携わる機会はかなり少なさそう。

とした場合に、生活インフラを支える仕事(会社務め)をしながら、空いた時間にNGOなどの国際協力活動を自主的に実施する(いわゆるパラレルキャリアの範囲で)のが、自分にとってあっているのではないかと。

勿論、パラレルキャリアだからこそのデメリットもあると思います。単純に、自分のやる気がないときにはやらない可能性がある。仕事が忙しいことを言い訳に。モチベーションの維持は一つの課題になるのだろうな。勝手なイメージは不毛地帯の朔風会みたいなもんですかね。

 

あくまでも2018年4月25日時点での考えなので、自分の考えが変化する可能性はありますが、何となく、備忘的な意味も含めて書いてみました。

 

長文にお付き合い頂きありがとうございました。

雨降って、水道濁る(圧倒的マイノリティとしての異文化適応について)

タイトルは本文と全く関係ないっす。自分の任地では水道は山からの湧き水を使っているみたいなんですが、雨が降ると土砂が紛れ込むのか、濁ります。そうすると勿論水は飲めないし、洗濯もできないっすね。プチ断水が続いていて、ちょっと嫌な感じの毎日です。そんで、カッコ書きの部分が本来題名になるとこですね。 

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ちなみにこれは熊本の鍋ケ滝で、モザンビークじゃないっすw こんだけ綺麗ならいいんだけどねぇ。

 

すんません、今日あった出来事を吐き出させてください。あんまりいいものではないです。見なくても全然いいです。

 

今日、昼休みに飯を食おうと近くの市場に繰り出しました。飯といってもこの間美味しいドーナツ(砂糖付き)を発見したので、それを食べようとしていました。

 

市場に行ったんですが、目当てのドーナツ(砂糖付き)はなく、砂糖なしのプレーンドーナツだけありました。

 

まぁ仕方ないかと思い1個買って食べていて、その間もドーナツ売りのおばちゃんたちとできるだけ現地語を使って話をしていたんですが(現地語勉強のため。)、通りを挟んで向かいにいる青年が「俺に買ってくれ。腹減っているんだ。買ってくれ。」と言ってきました。

 

よくある物乞いだなと思い、無視はしなかったんですが「No」と言った後、現地語の勉強になるなーと思ってそいつがどんなことを次に言い出すか観察していました。

 

そしたらそいつはおばちゃんが売っていたドーナツをつかみ、その場で食って俺を見た後、元居た通りを挟んだ向かい側に帰っていきました。

 

周りのおばちゃんたちも「いやいや何喰ってんだよ」って感じだったし、自分もそいつに対して「俺払わないからな!お前が食ってんだからお前が払えよ!」とは言ったんですが

 

そいつは意にも介さず「だって金ねーし」といわゆるケツまくった状態。

 

結局、金を持っているくせにケチな日本人は、周囲のおばちゃんたちに「ごめん」とだけ言って帰っていきました。

 

 

自分はこの時どうするべきだったのか、明日どうすればいいのか、すげー悩んでます。

いくつか選択肢があったはず。思いついたやつ書いていきます。

 

① 自分が金を払う。

はっきり言ってドーナツ1個なんて大した金額じゃない。日本円にして2円くらい。日本のサラリーマン時代と生活レベルは違っても、金額の大小だけで考えたら大したことはない。でも払いたくない。だって払う道理がない。俺が食ったなら俺が払う。俺が買ったなら俺が払う。でも勝手に取っていったやつ(しかも悪びれる様子もなく)の分を自分が払うのは納得できない。そいつは味を占めて今後もそうやって俺にたかろうとするかもしれない。その意味でも払いたくない。でも、このままだと被害者のおばちゃんがかわいそうだ。

 

② 青年に払うように詰め寄る。

多分これを選択したら、「金ないVS払え」の空中戦が勃発するんだと思う。そんで次第に言葉が荒っぽくなって挑発からケンカというパターンもあり得る。サラリーマン金太郎みたいに自分が腕っぷしに自信があったら、もしかしたら詰め寄ったかもしれない。でも、自分はそんなに自信がある方ではない。相手は黒人だし。そしてここはモザンビーク。青年の味方をするモザン人が出てくると思った。だって「我らが同胞の相手は金持ち日本人でついこないだ来たばっかり。体はそれなりにでかいけど何人かで束になれば問題なく倒せるだろう」。俺は金払えって詰め寄った結果、有り金と手持ちのスマホ取られて泣きを見る可能性が高いと思った。だから、できなかった。弱虫。

 

結果、おばちゃんに「ごめん」とだけ言い残して去っていくという、なんとも情けない、日本男児らしからぬ(もしかしたら典型的なのかもしれないが)行動を選択してしまった。

 

結果、一番の被害者はおばちゃん。そのおばちゃんももしかしたらこう思っているかもしれない。「金持ち日本人は1個売り上げに貢献したけどその分マイナスも持ってきた。ってか金持ち日本人なら1個分くらい払ってくれてもいいのに。」

 

日本で協力隊OBOGの話を聞いているときにも、何度も出てきたお金の場面。クレクレ攻撃。あの時は正直言って「そんくらい別に払ってやってもいいじゃん」って思ってた。でも今ならすごくわかる。このくだらないんだけど無視することのできない、そしていい解決策が思い浮かばない、難題。

 

自分が金を払うことで今後どのような見方をされるか、

同様に、金を払わないことでどのような見方をされるか、

悩んでます。

 

自分が金を払わない理由はいくつかある。

A 金を払う理由がない

B 金を払った後の自分の見られ方が嫌だ

C 金を払った後のあいつの「意地を通したら何とかなるじゃん」って考えを助長しかねない

 

それでも、なぜ何の罪もないおばちゃんが一番の被害者にならなければならないのか、そこまで自分も自分の意地を貫き通すことに意味があるのか。

 

悩んでいます。

 

今のところ考えているのは、明日、「ドーナツ食い逃げ野郎からお金はもらえたか」を確認すること。そして、仮に払われていないようだったら、あいつには内緒にしたうえで俺が払うこと。

 

 

ちょっとこれとは話が違うけど、クレクレ攻撃にはやっぱりずっと悩むかもしれない。職場でも道端でも何かと「買ってくれ」と言われる。それはパソコンみたいな高価なものだったり、腹減ったからゆで卵買ってきてくれよ、みたいな安いものだったりいろいろだけど基本的にすべて断っている。上述したように道理がないからだ。なぜ俺が自分で使わないパソコンを買わなければならないのだ。なぜ俺がお前のためにゆで卵を買わなければならないのだ。

 

一方で、確かに施しを受けることもある。正直に言って別に食いたくもない生の落花生だったり、キャッサバだったりするのだが、「いらない」というのも若干気が引けるし、できれば同じ目線に立って関係性を構築したいところから、とりあえず頂いている。

 

まだこれが交渉に使われたことはない。でも、もしかしたら今後は交渉材料に使われるかもしれない。「あの時落花生あげたじゃん。キャッサバあげたじゃん」。その時にどう答えるのか。

 

確かにもらったけど特に食いたくはなかった

確かにもらったけどあんまうまくなかった

特に頼んでもらったわけじゃない

それとこれとは別問題

 

どんな答えでも結局壁ができてしまう。仕方ないのかもしれない。本当に仕方ないのか?活動対象は農民だから、同僚とは多少壁ができても仕方がないのか?今後もずっと(2年間)微妙な距離感と関係性の中で働かなければならないのか?

 

多分、日本で仕事しているときのお客さんだったら、いろいろと折れているんだろうな。仕事のためって言い聞かせられるから。その方が効率よく業務が回るからって。最終的に効率よく稼ぐことだけ考えていれば、上司も納得したしそれが会社のためだと思っていた。現実的にどうすればスムーズに落ち着くのかという状況判断の能力は、はっきり言って評価の対象にもなる。

 

でもボランティアだと、すごく立ち位置が微妙になる。というか、自分を殺してまでボランティアをしたくない、というのが本音かもしれない。結局、自分は自分のためにボランティアをしているんだなということが、書いていて思ってきた。モザンビークのため、SDAEのため、農民のためではないのかもしれない。自分の経験のため。自分の世界を広げるため。

 

すごく自分勝手なことを書いているのは認識している。でもなんか言語化したかった。

 

そんなことを考える、任地1か月ちょいの夜。

異文化適応の事例研究みたいになってしまった。

コミュ開としてやばい感じの考え方になってるかな。。。そうだと感じる人がいたら、ぜひご連絡ください、お願いします。

停電とエセ活動と生存報告(赴任1か月)

なんやかんやと早いもので任地に来てから1か月、モザンビークに来てから3か月が経とうとしています。

退職してからはすでに半年以上が経ち、協力隊を受けることを決意してからはすでに1年半以上が経っていますね。

 

うーん、早い。そして長い。

 

まぁ1回落ちたせいもあるのですが、それでも2回目に受けた時点からは最速で来ているし、1回目で受けたときに希望した隊次からは一つしか遅れていないのに、それでもこんなに時間がかかってしまうのか。国境をまたいだボランティア活動、というか、ある意味では国家事業として行っている外交活動はやっぱそう拙速にはいかないっすね。

 

でもこっちに来た以上はなんかしら爪痕を残していきたいし、スピードは重視したいっす。

 

前置きが長くなりました。

 

1か月間アフリカの片田舎に住んでみていくつか身に染みたので、書いていきます。

 

① 停電にあいました

無電化集落で生活しているアフリカ他国隊員からしたらふざけんなと言われそうですが、自分の任地は電化されています。水道も出ます。ですがどっちも不安定でだいたい毎日停電してたし断水してたんですが、停電はまぁ割と一瞬(数十分程度)だし断水も昼間だけ(といっても朝7時~夕方7時くらいまで出ないときもあった)で、何とか生活する分には大きな支障ではないな、って感じだったんですわ。

 

ですがこないだ長めの停電にあいました。3日間くらい。

初日はすぐに復旧するだろって感じで早めに寝ればいいかなーと思ったんですが、2日目は(後述する活動の都合上)帰りが遅くなってしまったこともあり結局真っ暗の中ランタンの光だけで調理する羽目になりました。どうやら電気を駆動源としないようで一応水道は動いたんですが水流が弱く、そういう時は割と濁った水が出てくるんだけど暗いから確認しようがないし、しかもバツが悪いことに前日に肉、牛乳、野菜、ジュースを買ってしまっていて、これ以上停電してたら確実に悪くなってしまうという恐怖感と、明日になれば回復するんじゃねえかという淡い期待とが入り混じってすげー変な感じ。

 

肉はその日半分使いましたが、結局3日目も帰宅したときにまだ電気が来ていなかったので、泣く泣く埋めることとなりました。

 

結論、

電気ってマジで大事ですわ。

 

これでも昔インフラ業界に属していて、「人々の生活を基盤から支える存在に~」みたいなことを夢見たものの次第にペーパーワーク、デスクワークがつまらないなと感じてしまっていたんですが

 

電気ない生活って本当にきついなと実感しました。

 

最悪の場合、冷蔵庫が使えないことを想定した生活スタイルを構築しておけばそこまで苦痛ではなかったかもしれないけれども、自分はそうしていなかったし、それ以上に

 

暗くなっても明るく過ごせるという安心感がやばい

 

ってか電気見ると安心する。(これはアフリカで一人暮らしっていうシチュエーションもあるかもしれないけど)

 

日本にいたときにも「灯しているのは安心です」的なキャッチコピーを見たことがあって、

「ほーーーん。そんなもんかね。」

って感じでしたが、

 

あなたの電気も灯しているのはモノ(部屋)ではなくココロ(安心)かもしれませんよ。

 

以前は「協力隊行ってきたら以前とは違う分野で働くんだろうなぁ」などと考えていましたが、再度インフラ業界というのもありだなぁと。そんなことを考えました。

 

② エセ活動

この1か月で自分自身が隊員らしいことは全然していないのですが、Instaにはそれっぽい写真を載せ続けてきました。

ざっと総集編。Instaにあげていないのもあり。

A 配属先の郡経済活動事務所の上部組織である、州農業局職員との樹木成長状況視察

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DPA(州農業局)、SDAE(郡経済開発事務所)の職員と農場主

マンゴー、オレンジ、カシューナッツなどの枝木を分配して農家に配っていたものの生育状況を確認するもの。写真ではわからないけど接ぎ木して成長させるみたい。でも中には放置してたら枯れちゃったぜって農家もいた。。。

 

B 南ア資本銀行の支店開所記念式典参加っていうか見ているだけ

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なんか偉そうな人による社員紹介

自分もここで口座開設しているけど、昨年末にできたばかりでめちゃくちゃ綺麗。すでに開所してから3か月が経つけど開所記念式典。そんなもんなんですかね?

 

 

C JETRO下部組織のアジア経済研究所の農場視察帯同

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OP(生産者グループ)による説明を聞く

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Irrigaçao(灌漑)している農場

灌漑(川から水を引いてきて土壁を操作して水を調整するもの)できてるのはすごいと思う。かなりでかい生産者集団。

ちなみに上の写真と下の写真は別の集団です。上のOPはDの栄養改善にも参加している。めっちゃ元気。

 

D 州農業局員による農家向け栄養改善指導参加

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Boloと呼ばれるケーキ(ドーナツみたいな)の準備中

 

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野菜スープかなんかの調理中

一昨日から3日間、この栄養改善指導のために生産者グループのところに行ってて帰りが遅くなり、停電にあい、暗闇で調理をするということになりました。通常15時半で業務完了なところ、事務所帰宅で17時くらいかなー。彼女すげー頑張ってやってました。これから帰るから彼女が帰宅するのは21時くらいかなぁ。まぁ遅くなる理由はいろいろあるんだけど。

 

③ マクワ(現地語)習得

任地リバウエではポルトガル語も使えますが、農家さんの中にはポルトガル語があんまわからない人もいて、上記Dの栄養改善指導でも講師:ポル語、通訳:マクワ って感じでやってます。

自分が住んでいる街(集落っぽいけど)では、だいたいマクワで話しかけられます。挨拶程度なら覚えたけど、むちゃくちゃそれで喋ってくる奴がいる。全くわからない。それを見て楽しんでいるのかもしれないけど、言い返せるように早くなりたいなぁと。

そんなわけで拙いポルトガル語を武器にマクワを習得してます。竹やりで軍艦相手に~ってのと同じですかね。。。翻訳こんにゃくくれ。

 

 

おわりに

とまぁそんな感じでなんとか生きています。

 

ナンプラ州には他の隊員もいるんだけど、自分だけ孤立してます(他の隊員は州都ナンプラかそれより東側。俺だけ州都から西へ相乗りバスで3時間弱)。唯一の救いは世界遺産の島が州内にあること。往復2000円くらいで行けるめちゃくちゃ綺麗な島。但し移動にそれぞれ1日要するし、3か月ルールによりまだ行けず。。。

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イメージ画像

再来週の解禁を待つばかり。

あとは比較的マラウイに近い(といってもバスで1日かかると思う)ので、早く陸路でマラウイに行ってみたい。

 

あとは早くバイクに乗りたい。ただそれだけだ。

 

というわけで、長文失礼しました。ではでは。