Allgood-Life!! バカンスはモザンビークにて。

コミュニティ開発隊員として2018年1月から2年間、モザンビークのリバウエという田舎町に行ってます。おいでよリバウエ

色々来た1週間(モザンもうすぐ4ヶ月)

どうもこんばんわ、小倉です。

 

このブログがインスタグラムに投稿したもののまとめ的要素になっている感は多少あるのですが、まぁ見ている人が違うと思うし、書かないよりは書いた方がいい!w

 

ということで、あと10日で4か月経過のモザンビークです。

めっちゃ大きな出来事がありますわ。

 

①バイク来た

 

漸くバイク来ました。よかった。道のりは長かった。

前回の記事を読んだ方にはわかって頂けるとありがたいのですが

 

やっぱり木曜日(任地離れる日)にバイク来てました。

ただでさえでかいものなんじゃ。

一言くれ。

 

配属先の事務所で週明けまで預かってもらったので最終的にはAll okにはなってるんですが

この辺はやっぱり日本とは違うなぁと。

 

しかしながら、実はまだバイク乗れません。なぜか

 

②免許が来ねぇ

 

来ねぇというのはどういうことか、説明しますと、

首都滞在中(2か月くらい前)に免許を発行するための必要な手続きをやったんですよ。

具体的には筆記試験を受けるために大使館行って書類作ってもらったり、写真撮ったり、サインもらったり、勉強したり。

そんで筆記試験に何とか合格して、それで晴れて任地赴任だーってなってたんすよ。

 

普通にここ(モザンビーク)で免許を取得するとなると勿論実技試験も必要なんですが、日本で二輪免許を取得しているので、日本の免許と筆記試験の合わせ技で行けるっていうのが、それまでの認識でした。

 

ところが、なかなか免許が発行されない。

なぜか。

 

モザンビークの免許発行組織が、日本の免許証原本の保管を条件にモザンビークでの免許を発行すると言ってきているんですね。

突っ込み① いやいや、お前ら日本語読めんやん

突っ込み② だから大使館で日本の免許証の内容証明ポルトガル語でしてるやん

突っ込み③ そもそも日本の免許証をモザンビーク側が管理する意味あんの?

突っ込み④ しかもこれまで何人かの免許証を保管するって言って無くしてるやん

突っ込み⑤ JICA的に何年もこの話してるやん、なぜ伝わらん

 

とまぁ、突っ込みどころは満載なんですが、やっぱりいろいろと難しいですね。

つーわけで、バイクあるけど乗れないという、さらにもどかしいことになってます。

でもJICA側もこの事態を打開すべく、あらゆる選択肢を視野に入れて行動しているようで(北朝鮮の報道みたいな言い方だなw)、少しだけバイク乗車の可能性が見えてきました。

漸く活動できるかな的な感じになってきました!

 

うれしー。

 

そんな感じでいたら、まさに活動でBIGなことが起こりました。

 

③ 謎の訪問者が来る

「今日は大臣が来るからな!」と言われ、農家集団の元に向かうある日。

大臣が来るのはすげぇなぁ。と思いながら、あれ、でもなんで大臣クラスの人が来るのにSDAEからは普及員のお前(若造)と俺だけなの?所長とか来ないの?

 

そんなことを思っていたら

「地元政府のシェフ(部長的なポジション)が来るんだ」という言葉に代わり、

 

まぁそのくらいの人だったら所長とかいなくてもいいのか、

 

そう思っていました。

 

そして現れたおばちゃん。

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家に帰って経歴調べて衝撃を受けた。。。早く言ってくれよ。。。

 

「へー、上のポジションに女性がいるんだ。日本よりもジェンダーフリー進んでるなぁ」

 

なんてことを思ったり、

こんな感じで白人の女性に通訳(英語)しているのを見て、

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べらべらに通訳してました

 

「うわーモザン人だけど英語上手いなーこのおばちゃん。地元政府の部長レベルでこんなにできる人いるんだ」

 

なんてことを思っていました

 

そんな感じでイベント自体は終盤に向かっていったのですが、最後に訪問者の自己紹介的なコーナーがあり、そこで死ぬほどびっくりしました。

おばちゃん曰く

「私の名前はGraça Machel。サモラマシェルの妻です」

 

ん。まて。サモラマシェルって、モザンビークの初代大統領じゃないか?確か30年くらい前に飛行機事故で亡くなっているけど、その妻だったの?

 

、、、(元)ファーストレディーじゃん!!!

 

周りを見ると、みんな当然そうな顔をしている。当たり前か、自国の初代大統領夫人なんだから。

このおばちゃん英語上手いなーなんて、馬鹿なことを考えていたもんだ。

そんなことを思いながら、同僚に驚いた顔を見せ、農民たちにも「あの人が大統領夫人だったの?」とか聞いてセレモニーが終了し、帰宅することになりました。

 

そんで、疲れたーと思いながら「サモラマシェル 妻」で検索してみたところ

 

グラサ・マシェル - Wikipedia

同じ年の1975年にモザンビーク初代大統領サモラ・マシェル(1933 - 1986)と結婚するが、彼は航空機事故(en:1986 Mozambican Tupolev Tu-134 crash)で亡くなり未亡人となる。その後、1998年に当時の南アフリカ大統領ネルソン・マンデラ(1918 - 2013)と結婚し(結婚した日はマンデラの80回目の誕生日だった)、異なる2カ国で大統領夫人となった初の人物となった 

  

南アフリカのネルソンマンデラの妻でもあった。

つまり、世界でただ一人、2つの共和制の国で大統領夫人をしたことがある人だった

 

 

いや、ガチで歴史的人物やん

これまでずっとおばちゃんとか言ってて本当に畏れ多いわ。。。

 

人生で喋ったことのある偉い人ランキングで確実に1位じゃん

人生で握手したことのある偉い人ランキングでも確実に1位だな

いや人生で会ったことのある教科書に載りそうな人ランキン(ry

 

というわけで、もう少しこの国の歴史と文化を勉強しようと思いました。

2ショット取っておけばよかった。。。笑

 

今週はさらに続く

④ 大臣との面会

 

くるくる言ってた大臣は別の場所にいたらしいです。SDAEの所長と一緒に。なるほど。それで所長はこっちには来れなかったのか。それは仕方ないな

 

なんて思っていた矢先、「土曜日に大臣と会議があるから、お前も来い。ナンプラだ。」

 

ということで、土曜日に大臣にも会ってきました。

こっちは会ったといっても、州内の普及員(250人くらい)を全員集めての意見交換会みたいな感じだったので、別に直接話したわけでもなかったんですが、なんか今週はえらく偉い人に会う機会が多かったなぁと。

 

まぁ、偉い人に会ったところで俺は主役ではないし、農家並びに普及員の縁の下の存在でしかないから、あんまり意味はないんだけどね。

ただなんでしょうか。俺はやっぱり偉い人に会うとなんか気が引き締まります。バカなんですかねw

 

 

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悩みというほどの悩みではないですが、普及員との距離をどうするか悩んでます。

いつも一緒に行動している同僚はめちゃくちゃでかい畑を持っていて、そこで農家たちを働かせているんだけど、仕事の条件に関して結構議論しているんですよね。多分、「もっと早く払え、もっと寄越せ」と言う農家に対して彼は「いやだ」と言っている。

俺の元々の派遣内容は、零細農家が確りと食べていけるように、現金収入を増やす手伝いをすること。おこがましい言い方ではあるが、要するに、俺が助けなければならない人は目の前で議論している農家であって、普及員ではない。

 

だけど、SDAEで普及員として働くにあたって、同僚とは仲良くしていきたいし彼を突破口にして自分の活動範囲を広げていきたいとも考えている。

 

多分、今週、収穫を手伝ってくれと言われるだろう。

その時に農家たちは働いているのだろうか。

農家たちがその日、そこにいてもいなくても、俺は何を考えて何をすべきなのだろうか。

 

結論のない悩みが、また一つ顕在化した気がする。