Allgood-Life!! バカンスはモザンビークにて。

コミュニティ開発隊員として2018年1月から2年間、モザンビークの田舎町へ行く男のブログ。目標週1更新。

日本文化紹介!!@モザンビーク島

ども、小倉です。

 

昨日のFacebook投稿通りに今回の任国外旅行について時系列で書こうと思ったのですが、

  1. ネタが多くてまとめるの時間がかかりそう
  2. プライベート旅行の部分よりも、旅行の締めくくりであるモザンビーク島での疑似活動の方を優先度高くした方がいいんじゃね(おれ主催者じゃないけど)
  3. なんかそんな気分

ということで、ちょっと順番を変えてモザンビーク島での日本文化紹介イベントについて書いていこうかなと、思いやす。

純粋な活動に加えて広報的な部分も協力隊の重要な活動(っていうか使命って感じ?)であるという、

あんまり活動していない人間が少しでも活動しているチックに振舞える(人の褌で相撲を取る)逃げ道的なところも多少はありますがw

 

まぁ、それでもやらんよりはやった方がいい!ってことで、まぁ、はい。

 

 

日本文化紹介イベントとは?

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文化交流! ポルトガル語の横断幕もあります


 

読んで字のごとく、任国であるモザンビークに対して、日本の文化を紹介するイベントです。モザンビーク島(世界遺産の島。モザンビークの旧首都)で開催するのは今回が2回目(?)らしいです。他都市で開催してるかはよく覚えていませんが、モザンビークでは「~~~の日」みたいな感じで夫々の市または街の日が設定されていまして(例:ナンプラの日、マプトの日.etc)、その日はそこの街のみ休日になり祭りが開催されるので、協力隊員がいるところは主催者側に事前に相談したうえで時間をもらい、ソーラン節を披露したり日本食を振舞ったりなんていうのが結構あります。

これは他国でも同じ感じですかねー、よくわかんないっすけど。

 

で、今回の日本文化紹介イベントは、特にモザンビーク島の日ではなく(!)*1普通の土曜日にやったんですが、それでもかなりの人が集まって盛大に開催されました。任地でもこういうのまじでやりたくなった。周辺に隊員がいるかいないか、日本人がいるかいないか、人が集まる場所かどうか等考慮すべき点は多くあると思いますが、控えめに言って今回のイベントは楽しかったし、いろんな人が見に来てて主催者がすごい羨ましかった。やりたい人いたらおススメです。

 

さて、そんな今回のイベントの主催者ですが、モザンビーク島を活動拠点とするボランティア2人がやってくれました。そして、ナンプラ州を活動拠点とするボランティア5人がメインスタッフとして参加し、南部州からもボランティア4人が旅行+ヘルプとして手伝ってくれました。(ちなみに俺はナンプラ州だけど色々事情があり「サクラ」として参加してました)

 

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イベント主催者 直子さん 島のダンサリーナと共に踊ってます

 

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もう一人のイベント主催者 同期のゆい 「え、住所ですか?世界遺産の島ですけどなにか?」←言ってない

 

 

イベントコンテンツ及び掲載物

JICA紹介

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JICAとか協力隊の説明してます



日本紹介(和服体験、日本食試食、バンド、ソーラン節)

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浴衣!

 

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めっちゃカメラ目線決めてくるやん

 

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法被(これではっぴと読むのか。ありがとう吉田町北友会!)

 

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ちなみにソーラン節は「ドコショ」という名前で定着しているらしいw

 

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結構ギャラリーいる

 

日本食(刺身とお茶)撮るの忘れた。

 

YASUKE

 


マクワの歌@モザンビーク島 YASUKE

 


ai se eu ti pego@モザンビーク島 YASUKE

 

モザンビーク紹介(モザンの食べ物、ダンス)

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同期助っ人 と 和服モザン人 (皿にあるのはニクナッパか?)

 

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モザンビーク島のダンス

 

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ダンス 表情いいと思う

 

 

特に仕事とは全く関係ないのに主催者側として手伝ってくれたモザンビーク人がいて、なんかそんなところに結構感動した。

日本人(ボランティア)と仲いい訳を聞いたら、昔のボランティアが市内を歩いているときにモザン人側から日本語で話しかけたことがきっかけらしい。その前にカナダ人から日本語を習っていたんだって。

カナダ人から日本語を教えてもらったモザンビーク人がモザンビークにいる日本人に話しかけて、その人が日本へ帰った後も後輩隊員と関係性が続く。いいっすね。

 

 

あと、今回個人的に度肝を抜かれたのはバンドでした。

最初はカントリーロード(日本語バージョン withモザンの子供たち。動画上げようと思ったんだけど動画長すぎて断念)だったんですが、その後にモザンで流行っているブラジルの歌やマクワ語(現地語)の歌(上でYOUTUBE貼ってるやつ)を始めたときには、ギャラリー熱狂。

 

会場熱狂。

 

はんぱねーw

 

音楽っていいなと再認識。

 

語学頑張るかと再確認。

 

という感じでイベントはかなり盛況でした。

 

 

 

そんでイベント後の打ち上げでは有名なKARIBUにて。

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マグロのステーキ ゴマを添えて。

 

美味!!!

やっぱモザンビーク島いいところだわと感涙。

 

写真こそ撮り忘れたけど、かぼちゃのプリンも最高でした。

あと、Bar Florの眺めとカイピリーニャも最高でした。

 

あーーー!お疲れっした!

*1:今年のモザンビーク島の日は200周年記念で半端なくでかいらしいので、そのせいもあるかも。噂によるとポルトガル語公用語の国の大統領が4,5人来るとか来ないとか。サミットかよ!w

Nakossoっていうイベントについて(7月にやったやつ)

それなりにOn-timeでブログを書いてきましたが、今回は振り返り的な感じです。

「鉄は熱いうちに打て」の言葉通り、できればこういうのは早く書いてしまった方がいいんだけどね。。。気分が乗らず、1か月遅れで思い出しながらの寄稿になります。

 

本当は今すぐにでも任国外旅行記を書きたいんだけれど、先に旅行記を書いたら絶対にこっちの活動に関するブログを書かない気がしたので、何とか頑張ろうかなと。

 

 

 

時は遡りて1か月ちょい前!

 

ボランティア総会とイニャンバネ視察を終えた自分は、7月6日~7日の2日間の日程で開催が予定されていたNakossoと呼ばれる農業イベント@任地Ribaueに参加するため、7日早朝便(朝6時発)に乗り込むべく朝4時に起床。4時半にはドミトリーを出発して5時には空港に着いていました。

今回マプトへの往路ではLAMが12時間弱の遅延というスーパーファインプレー(14時発→25時発)だったので復路Fastjetも遅延するのではないかと思っていましたが、LCCであるにも関わらず意味不明な遅延もなく、OntimeでTakeoffしてくれました。なんやFastjetさん、神様やないですか。

 

そんでそのまま遅延なくNampulaへ到着。大急ぎで任地Ribaueへ。

 

Nakossoは朝8時から夕方5時までの開催だったのですが、モザンビークだし午後になったらみんなだらけて活気がなくなるだろうと思ったので、なるべく早く着きたかったのです。

 

大急ぎの甲斐あって12時頃にはRibaueに到着!

「よかったー、フライト遅れたらどうしようかと思ってたけどこれでイベント参加できるわー」と思いながら開催地であるサッカーグラウンドへ行くと。。。

 

 

 

やってない。

 

 

なんで

 

っていうか、なんか今会場設営してるやん

 

 

会場設営している奴に聞いてみた。

俺 「Nakossoって、昨日今日(6日7日)だよね?」

モ 「いや、来週の水木だよ」(即答)

 

 

イニャンバネ視察を早めに切り上げた意味ー。

朝4時とかに起きた意味ー。

フライト遅れるんじゃないかとかドキドキしてた意味ー。

フライヤーとか農家に渡してたじゃん俺がマプトいく前ー!どうしてんの?

 

 

モザンビーク政府に加えて、Sustenta(世銀プロジェクト)、スイスドナー、ETG(日本=インド系企業)なんかが協賛してるっぽかったし、フライヤー刷って渡してたから日程変更はないと思ったんだけど、、、

やっぱ、、、うん。

 

ま、ポジティブに捉えれば、2日間のうち半日しか参加できなかったのが全日参加できるってことだ!

 

というわけでこの週はそわそわしながらあまり活動も手につかず、また延期になるのではないかとそわそわしながら過ごしていました。が、

 

ついにその日は来たり!!!!

 

1日目

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イベントの看板。日程がいつの間にか修正されている。。。

 

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主催者とホスト側(地域のお偉いさん?)

 

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州知事。来ないと思ってたw

 

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おばちゃんちょっとかわいい。カワ(・∀・)イイ!!

 

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イベントスタッフ。右から2番目の奴がコミュニケーション圧力つよめ



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ETGのひとびと

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うふっ♡きゃぴ♡的な感じを出そうとしたらうふふ的な感じになった

 

2日目

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大臣と所長。やっぱガセネタで来ないと思ってたw

 

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笑う大臣と笑う同僚

 

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おにゃのこ。カメラの腕前を信じられておらず3枚ほど撮らされた。

 

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にんじん。

 

2日間は完全にカメラマンしてました。みんな「俺を撮れ!!!!」ってうるさすぎw最終的に400枚近く撮ることになった。

アフリカ(モザンビーク?)の人は写真撮るだけで満足で特に欲しがる人いないとかって聞いてたけど、ぜんっぜん嘘じゃん。

みんなめっちゃ欲してくるじゃん。

撮った写真のデータをどうやって渡すか、っていう点は今後もう少し考えようと思います。今回はイベント主催者のPCに入れて、各自USBを持っている奴がそこからコピーする戦法を取りましたが、メールで送るとかになると手間かかってアホらしいしなぁ。どこで撮るかでだいぶ変わるかもしれないけど、撮るときにはそれなりに考えていこうと思います。

 

ってか、びっくりしたこと。

1日目 テレビカメラ&州知事が本当に来た(事前情報はあったが、どうせ来ないと思っていた)

2日目 農業大臣が本当に来た(事前情報はあったが、どうせ以下略)

 

真面目なことを少し書くと、上記のような大物ゲストやらメディアを迎えられたし派手な感じとか露出的なものはすごくあったからイベント自体の価値はあったと思うんだけど、そもそもこのイベントが「(農家側の)市場へのアクセス」がキーワードになっていてサプライヤー側が多く出展していた一方であんまりバイヤー側が来てなかったことを考えると、本来のイベントの目的達成度はあんまり高くなかったのではないかと思っ

てしまう。。。

1日目も2日目も、午前中は(ゲストも来たから)みんなそれなりに元気にしてたけど、後半の失速は結構ひどかったからなぁ。

 

まぁ、やることが大事とも思うから、仮に来年もあるとしたら次回はその辺を提案してみてもいいかもしれない。

なくてもこういう視点を持ってもらえるように協議してみるのもいいかもしれない。

仮にないとしたら主催者側として企画してみるのももっといいかもしれない。

 

とりあえず、いい経験になりました!ちゃんちゃん。

総会・イニャンバネ旅行と現地語習得の幕開(マクワ)け

ども、小倉です。

ちょっと久々のブログ執筆です。1か月くらい空いたな。今日は題名の通り、総会とイニャンバネ旅行(で感じたこと)について書きたいと思います。

 

総会について

モザンビークでは今年から1年に2回、モザンビーク全土に散らばる隊員に対する事務所側の情報共有や隊員間での情報共有その他を目的として、総会をやっています。

首都に上がったのはたったの4か月振りだったんですが、驚くのはその首都っぷり。まごうことなき首都。高いビル。車の多さ。外国人の多さ。お洒落な人の多さ。

NTCにいるときにも、訓練終盤で東京に来た時に半端じゃない都会感を味わいましたが、それに匹敵する、というかそれ以上に味わいました。大学に入学したときに一人暮らし始めたときレベルに緊張した。笑

 

そして、マクワ語(ナンプラ州の現地語)の伝わらなさ!!(モザンビークでは公用語ポルトガル語に加えて、だいたい各州のレベルで現地語が存在します。そんで俺の任地の人はポルトガル語も喋れる人いるけど、みんなマクワの方が好き。マクワ語喋る方が心を開いてくれる。)

ドミトリーの警備員で一人ナンプラ出身の奴がいて、そいつが唯一、マクワ語で喋れる相手でした。任地にいるとマクワ語なんて全然喋れなくて、逆にマクワ語で喋りかけられると構えてしまうし、わからないことがあると「ポル語で言えや!ポル語で言われてもわからん事あるけど」みたいな感じになってしまうんですが、首都に上がってマクワ語が全く聞こえない状況だと、逆に不安になってしまう。人間の適応ってのはなんかすげぇもんだなぁと。まぁ、そいつにも俺は挨拶と自己紹介くらいのマクワ語しか話せないんですが。笑

 

そんな訳で、やっぱり任地と首都は全く違うな、というのが(当たり前ですが)率直な感想でした。いろんなレストランあるし(でもその分金が飛んでいく)。

でも、やっぱり人の付き合い方が都市だなと。田舎ではないなと。それも強く思った。メリットもデメリットも両方ある。田舎にいると先進的で優雅な生活に憧れるし、都市部にいると血みたいに濃い人付き合いに憧れる。そんなもんなのかなと。どこの国でもそれは変わらないのかなと。多分自分以外の人も。

 

(以前の総会を知らないけど)総会はかなり真面目な内容でした。これまでベースにしてきた地域ごとの発表・議題から隊員の活動分野ごとの分科会への変更・キックオフ。ちょうど自分の隊次が到着したときに以前の総会が終わって、新代表たちが準備してきた初の総会。メンバー刷新もさることながら、内容の一新も加わり今回の総会運営は相当に大変だったと思う。どんなことをしたいか、を自分たちで議論して内容を詰めてから、JICA側と交渉。そこで出たコメントに対して再度代表者たちで議論を行い、回答し、JICA側の返答を待って一つ一つを前に進めていく。文章書いていても面倒なことを実務としてクリアしていかなければならなかった訳ですから、本当に大変だったと思う。代表者たちには感謝です。これは結構マジで。

 

自分とその次の隊次(2017-4)はある意味お客さん的な感じで今回の総会に参加してましたが、次回からはホスト側でやらなければならないなぁと、ちょっと気を引き締めていこうと思います。少しずつ。

 

あと全然総会には関係ないけど、次首都に来た時にはホストマザーにも会っていこう。

 

 

イニャンバネ旅行について

総会後にイニャンバネ州に行ってきました。元々はトーフビーチに行きたいだけだったけど、せっかくなので他の隊員の活動を見せてもらいに。

トーフビーチは、半端じゃなかった。どれだけ半端じゃないかというと、

 

これくらい。

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ただのビール瓶がカッコよく見える不思議エリア、トーフ

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めちゃくちゃ旨い寿司

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俺?ボケてていいんです。

 

 

トーフビーチを経て、ジャンガモ・イニャリメ・ザバラへ行きました。

ジャンガモはSDAEの女の子かわいかった。イニャリメではスイス人のいい奴と会いました。またサッカー一緒に見たい!インパラの会社なのにマニカばっか飲んでたなー笑。(アサヒで働いてるのにプレモルばっかのむ的な感じです)ザバラは海と湖が陸地をサンドイッチしている場所で、Paraísoでした。終始「えぇっぇ!?」って言ってた気がする。天気が良くなかったのが無念。リベンジしたい。

 

今回の旅で、「ポテンシャル」という言葉の意味を再確認した気がする。自分の任地(リバウエ)は「農業ポテンシャルが高い地域」と言われている。気温もそこまで高くならないし、全然開発されてないけど地理的に重力を使った灌漑が可能な農場が結構あるし、最近国道・鉄道が整備されて物流面も改善されつつある。これから街が発展する可能性が大いにあるということだ。

でも現在のレベルでいえば、イニャンバネの方が街が発展していた。住んでないとわからない微妙な差かもしれないけど、街の人の服装も少し小ぎれいだった気がする。首都に近いし、綺麗なビーチがあるから外国人観光客も来るから、リバウエよりも(町も人も)金を持っているのは当然と言えば当然。でもなんか、自分の任地の田舎っぽさに一瞬悲しくなった。

でも、少し考えてみればわかる。JOCVとして来て、任地の田舎っぽさに悲しくなるのは自分の存在の否定みたいなもの。だってみんなが小ぎれいな恰好をして綺麗な街に住んでいるとしたら、(分野によるけど)コミュ開なんかいらない。ではないからこそ、だからこそ、JOCVが派遣されている。自分の任地が田舎っぽいことに悲しむのは今の自分の役割を思い起こせば有り得ないこと。(極端な言い方ではあるし、だれかを攻撃するものでは絶対にないけど)そもそも発展しているところにJOCVなんかいらない。

 

多分、これからもこの類の葛藤(というか自問自答)は出てくるんだろうな。でも確りと毎回自分で答えを出せるように、目を見開いていきたい。

 

 

現地語習得について

任地に帰ってこないだから現地語ティーチャーを付けました。これまでは主に同僚・農家たちから単語を教えてもらって、覚えるという感じでしたが、彼はわかりやすく文法を教えてくれます。

 

最高に有難い。

 

実は現地語は自分がこれまで習ってきた言語とは、色々と異なる部分が多い。一つ大きな違いは、活用・変化が「語尾」ではなく「語頭」でやることが結構ある、ということ。多分スワヒリ語とかもそうだと思う。同じバンツー諸語だし。

 

彼には月4回のレッスンをお願いしていますが、もう少し自分で自分の活動がコントロールできるようになったら、増やしてあげるのもいいかもしれない。

 

 

そんな感じで、今回の記事はそろそろ終わりにしようかと思います。

旅行から帰ってからの農業イベントの方も今度書くかもしれない!その前に旅行記になるかもしれないけど。

 

というわけで、見てくれた方、あざっした。

モザンビークの普及員のお仕事=商社?(モザン5か月)

相変わらず現地の子供からは

モコニャー と言われていますが、それ以外の普通の人からは

たちゅー もしくは たちゅーや と呼ばれています。

 

小倉です。

 

ほんまに「つ」って発音しづらいんだろうなー。

 

同僚からはギリギリで「たつーや」と呼ばれています。どっかにアクセントないと本当に嫌なんでしょうねw

 

実はアフリカに来たら自動的にアフリカンネームが授けられると思っていて、どんな名前が付けられるのだろうか、って考えていたんですが、なんもなかったですw

でももし和名以外の名前が欲しいと少しでも思ったら、「付けて!」って頼んじゃったほうがいいんでしょうね。読んでる人知り合い以外ほぼいないからあんまり波及効果はないんですが、今後海外で一定期間生活しようと思っている人は、恥ずかしがらずに「名前つけてよ!」っていうことをお勧めします。

 

 

さて、自分の隊次が到着する直前の隊員総会で、「今後総会は年1回ではなく年2回とする」ことが決まり、それ以前よりは多くマプトに公費で上がれることになりました。そんで前回の記事にも書きましたが、今月末に初めての総会があるので、公費で首都に上がれます。うれしい!実はふつーにテンション上がっている。

 

なんだかんだ言うてやっぱり田舎はあまりモノが揃わないし、近くの都市(ナンプラ)に上がっても食べるのは中華ばかりで少し飽きていたので、首都滞在中はいろいろと旨いものを食おうと思っています。

 

それに本当はトーフビーチに行きたかっただけなんですがこの機会に南部のイニャンバネ隊員の活動も見ようと思っているので、できるだけ有意義な滞在にしようと色々考えています。

任地の活動は相変わらず相方の普及員にくっついていって、話を聞いて、帰る、という本当にそれだけのことしかしていないんですが、それでも時期的にはもうすぐ活動計画を作成しなければならないタイミングになっているので、周囲の活動を見ることは自身の活動計画を作成する上で大きな参考になる!たぶん。

 

まだまだ活動計画が立てられていない中で悠長なことをと考える人もいるかもしれませんが、他の隊員やSDAE(郡経済協力事務所)の普及員がどんな活動をしているのか、やっぱり自分のところと比較して参考にしたいじゃないですか。

 

そういうわけで、スロースターターではあるのですが尻上がりであることを信じて、総会に加えてイニャンバネ外遊視察してきます。

 

 

で、それに伴って自分の相方普及員の仕事を考えてみると、なんか自分が思っていた普及員とか他の人の話に聞く普及員とはちょっと違う気がするんですよねー。

 

自分が想像していた普及員(他人の話も含む)

  1. 畑を回って農家に色々と指導する
  2. 畑を回って種を配る
  3. 農民組合に顔を出して運営補佐的なことをする
  4. 自分の畑(PITTAだったか?)を作って模範農場とする

 

相方

  1. 畑を回って農家に色々と指導する → ボチボチやってる

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    なんか根っこを見てアドバイスしてる
  2. 畑を回って種を配る → まぁやってる
  3. 農民組合に顔を出して運営補佐的なことをする → まぁやっている
  4. 自分の畑(PITTAだったか?)を作って模範農場とする → 模範農場はない(これから作るっぽい)けど自分で農場を持っている(しかもでかい)

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    豆の畑(Feijao 何とか。名前忘れた)

  5. 地域の大農家兼農業用品店店主と共同して、種・肥料のツケ払いプロジェクトをやっている(使用した種と肥料の費用を収穫・売却時に返済するというもの。いわゆる与信取引でしょうか)
  6. 優良な買い手(顧客)を知っていて、農家に対して買い付け代理人的なことをしている
  7. 周辺の大農家が所有(占有?)している機械を他の農家に活用させるにあたっての仲介業務をしている

 

今が穀物の収穫時っていう、時期的なこともあるんだろうか。でも後半のウェートが明らかに高くて1,2,3,4はあんまりやっていないんですよね。

で、この5,6,7ってまさに商社業務なんですよね。多分日本だとJAがこういう機能を持っているんだろうな。よく知らないけど。おやじJAだったけど。

 

そんで自分のミッションである「現金収入向上」「市場アクセス」とかの観点から考えると、こいつがやっていること、めっちゃいい。

こいつの能力あったら多分リアルにアフリカで農業ビジネスできる。

 

ので、こいつの仕事っぷりはマジで真似したい!

でもハードルが高すぎる(現地語、農業知識、市場知識)!!

 

というわけで、目の前に素晴らしい教材・模範がありながらもあまりにもハードルが高く下をくぐるしかないと思う場合、どんなくぐり方をすればいいのか。

 

そのヒントが見つかればなんか活動計画とか行けそうな気がするんですけど(強気)

 

とりあえずはやっぱり語学ですかね。日頃さぼっていたポルトガル語も、現地語も、活動が(上手くいか)ないことを理由にしていましたが、なんかそれなりにぼやっとしてくると、めっちゃやらなきゃやべぇって焦りが出てきますね。

 

やべぇ

うへぇ

 

とりあえず、今日は飯食って寝ます。

なんか最近、ハードルが高いことを理由にして全部から逃げている気が。。。

 

zzz

三十路の夜に

ただ今、ナンプラからリバウエの帰り道。寝ちゃダメよーと運転手にケアされながら、ブログ書いてます。

今日のシャパはいつも以上に混雑してて、かるく20人超えてますね。本当に芸術の域。総走行距離は36万キロを超えるトヨタハイエースですが、快調に飛ばしています。くだらない事だけど、「壊れにくい」という、どシンプルながらも、だからこそとても重要な理由で日本車が支持されているのは、日本人として少しだけ誇らしかったりする。

 

前回の投稿から少し時間が空きました。と思ったけど、別にそんな空いてないっすね笑

 

ひたすら同僚に同行して農場にいき、現地語の勉強(という名のおしゃべり)をし、帰宅しては同僚に飯を食わせてもらうという、パッと見では充実した活動をしてます。農家で出されるご飯もお腹を壊す事なく食べられており、想像以上に頑丈に産んでくれた母に感謝。

 

私ごとですが、おかげさまで長かった20代に別れを告げ、ついに30になりました。アラサー卒業。アラサーっていうか、サー!

日本を遠く離れたアフリカの地で大台に乗るとは、去年は考えてませんでしたが、人生なにがあるかわかんないもんです。

記念すべき30の夜は、

 

何もなく!

 

過ごすことになるなぁと思っていたら、ピースコーの友達が連絡をくれて一緒に祝ってくれました。ありがてぇ。

 

しかも、3月に彼と出会ってから実現できたらいいなぁとちょっと考えていた、協力隊×ピースコーのナンプラ隊員交流会も実は昨日開催できた。

予想よりもめちゃくちゃ早く実現できた!

お互いに全員参加というわけにはいかないけど(向こうはナンプラ州だけで50人くらいいるから、多分全員参加は無理)、なかなか予定合わなくて半年くらい後になるかなぁと思ってたから、めちゃくちゃスムーズな開催だった。

帰国までの一年半、あと何回できるかなー。

 

ディエゴ、店のチョイスと友達呼んでくれてサンキュー!君はメシアだ!

リバウエで野球流行らそう。本気で。

 

ただ一つ後悔、写真撮り忘れた。めっちゃ、悲しい笑

 

あと、農家の飯はお腹壊さないのに、なぜかナンプラの食事でお腹壊してる。なんでや。日本帰ったらどうなるねん。笑

 

 

今週はリバウエの日で金曜日は休み!そんで土曜日は先輩隊員のデスぺでイーリャ!

来月は総会で久々のマプト!そして総会後に予定するイニャンバネ視察!

7月後半から8月半ばまで任国外旅行でザンビアマラウイへ!

 

夏季休暇が開けたら、活動も本格的にやっていかなければならない。できるかな。本格的に始動できるか。

 

自分はあくまでもボランティア。2年で出て行く。だから理想的には2年後も残る活動をしていきたい。でも2年後も残る活動ってなんだ?それは2年後も残ることを(残すことを)目標にやるものなのか?別に活動自体は残ってなくてもなんらかのメリット・気づきがあればいいんじゃないのか?そもそも自分の2年間の活動って、計画を立てた上で計画的に遂行しなきゃいけないものなのか?なにが問題かもわかってないのに、解法を書くなんて不可能じゃないのか?そしたら問題を明らかにするための調査に来ましたってことにしたらいいのか?調査に来たけど問題はありませんでした、ってことはあり得るのか?問題を明らかにするための調査に来ました、ってボランティアはあり得るのか?調査機関に配属されたわけではなく、経済活動の実行機関に配属されているのに?全然貢献してなくないか?相手が認識していない、潜在的なニーズに対して活動をしていきたいが、いつまで経っても相手がそのニーズを認識しなかったら、いつまでもニーズが顕在化しなかったら、自分の活動に理解は示されるのか?暮らしを良くするために来ましたって言って、どんな暮らしをしてるかも知らずに何を提言するのか?現地の暮らしと価値観が分かったとして、諸々の事情からその改善が本当に難しい場合には何を提言するのか?

一体自分は何しに来たのか。

 

そんなくだらない事を考えたりする。

 

専門性と明確な使命を持たない、コミュ開の泣き所だろうか。

 

話逸れるけど、スペシャリストかゼネラリストかっていう論争あるじゃないすか。

あれ、今多分世間では「スペシャリストになるべき!」って言われてると思うんだけど、俺は何度考えてもゼネラリスト志向なんですよね。

無個性。器用貧乏。キョロ充。いい人止まり。

そんなネガティブなイメージが増えるゼネラリストですが、いつかゼネラリストにも陽の目が当たる事を期待して、

 

本でも読みますかね。帰宅したし。

 

写真は本文とは全く関係ありません。ただの雰囲気づくりです笑

 

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追記 尚也さん、こーへーさん、勉強会ありがとうございました。冗談ではなく、為になりました。

それっぽく順調なモコニャ(モザン4ヶ月経過)

☆親愛なるブログ読者の方々へ

ブログ更新はFacebookでも不定期で連絡しているのですが、Facebook上の友人でない方、またはFacebookで自分の投稿を見えないようにしている方は、ブックマークかなにかをして頂けると、大変助かります。

 

 

なんかわかんないけど昨日帰ってきたらフラフラしてたので

早めに就寝(19時前)したら変な時間(午前2時)に起きてしまってます。

 

日本の裏側、地球のへそ、ホモ・サピエンス生誕の地、人類最古の壁画とみかんが眠る町リバウエより

(全て大嘘)

 

小倉です。

やっぱり「ツ」が難しいのか、ここではタチュヤ、タトゥヤなどと呼ばれてます。

子供たちからはモコニャと呼ばれてます。現地語でモコニャ=白人

モコニャって、ちょっとかわいい

 

モザンビークにきて4ヶ月も経つのに、もうポルトガル語を習い始めて7ヶ月も経つのに(衝撃)、まだまだ自分の語学力のなさに愕然としながら、活動と言えるか言えないかのギリギリの線をぶっちぎりで踏み外しているかのごとく、

ギリギリで生活してます。

 

さて!

バイクが来てからというもの、フィールドワークの頻度が格段に上がり、「あー!、、、っぽい!」と思う風景や状況に出くわす頻度も格段に増えてきて、「悩みすぎて頭がハゲちゃいそう。」

なんて考えてたんですが、慣れというのは恐ろしいもので最初はドキドキだったバイクも無心で乗ってるし、現地人のつまらんいざこざに巻き込まれたらたまらんなぁと、およそ協力隊として国際協力・支援に来ている人間としては考えてはならんことも考えたりしてる、最近です。

 

こっちだって人間だよ。楽したいわ。

 

現地での生活者としての感覚と、よそ者(協力隊)としての感覚とのバランスが、やっぱすげぇ大事だし難しいんだなと。再認識しとります。

 

よく知らなかったんですが、今は収穫の時期なんですかね。同僚の畑(家で持ってるもの?)でトウモロコシと豆の収穫があるというので、手伝いに行きました。

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以前にブログで書いたかもしれないけど、この畑、めちゃくちゃでかい。

 

大豆 2ヘクタール

ササゲ 2ヘクタール

トウモロコシ 2ヘクタール

キャッサバ 5ヘクタールくらい

 

他にもいろいろあって、全部で20ヘクタールくらいあるんすよ。

 

これ、作業機械化してないからね。

手作業。

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アフリカ、半端じゃないっすわ。

単純な規模で行ったら企業とか米州の農家の方がでかいかもだけど、

伝統的な農法でこんだけの広さはなんか、すごいと思う。

 

ちなみにさらに衝撃だったのが、20ヘクタールというのが畑だけということ。

 

畑のすぐ脇にまだ開墾してない草ボーボーの土地とか、後ろに山とかあるんだけど、

 

土地面積でいうと、200ヘクタール持ってるらしい。

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いわゆる、地主ってやつですか。そーですか。

 

今日は首都から農業省の御役人が来て、農場視察するみたいで、帯同しようと思ってます。

 

来週も収穫は続くので、引き続きそれっぽい写真と活動らしきものをお届けします。

 

バッカメーロ(現地語でまた明日の意味)

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モザンビークでも上の決定が遅いばかりに現場が苦労するというのはよくあることの模様。

 

具体的に言えば、来ると思ってた人(お客、お偉いさん)が直前で来ないと言い出す。延期?

 

明日やるぞ!と決まったためにわざわざ準備しに片道1時間かけて行ったのに、直前でフィールドデイがなくなる!延期?

 

州知事が来てたんだけど、帰り間際に「パパイヤと粟食べたい」と言い出したので、急いで探しに行く

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上手くワークしないかもしれないが、予見しといて事前に対策打てないかなー。だって、バタバタするし疲れるから。

 それがこっちでいう仕事なのかもしれないが。

色々来た1週間(モザンもうすぐ4ヶ月)

どうもこんばんわ、小倉です。

 

このブログがインスタグラムに投稿したもののまとめ的要素になっている感は多少あるのですが、まぁ見ている人が違うと思うし、書かないよりは書いた方がいい!w

 

ということで、あと10日で4か月経過のモザンビークです。

めっちゃ大きな出来事がありますわ。

 

①バイク来た

 

漸くバイク来ました。よかった。道のりは長かった。

前回の記事を読んだ方にはわかって頂けるとありがたいのですが

 

やっぱり木曜日(任地離れる日)にバイク来てました。

ただでさえでかいものなんじゃ。

一言くれ。

 

配属先の事務所で週明けまで預かってもらったので最終的にはAll okにはなってるんですが

この辺はやっぱり日本とは違うなぁと。

 

しかしながら、実はまだバイク乗れません。なぜか

 

②免許が来ねぇ

 

来ねぇというのはどういうことか、説明しますと、

首都滞在中(2か月くらい前)に免許を発行するための必要な手続きをやったんですよ。

具体的には筆記試験を受けるために大使館行って書類作ってもらったり、写真撮ったり、サインもらったり、勉強したり。

そんで筆記試験に何とか合格して、それで晴れて任地赴任だーってなってたんすよ。

 

普通にここ(モザンビーク)で免許を取得するとなると勿論実技試験も必要なんですが、日本で二輪免許を取得しているので、日本の免許と筆記試験の合わせ技で行けるっていうのが、それまでの認識でした。

 

ところが、なかなか免許が発行されない。

なぜか。

 

モザンビークの免許発行組織が、日本の免許証原本の保管を条件にモザンビークでの免許を発行すると言ってきているんですね。

突っ込み① いやいや、お前ら日本語読めんやん

突っ込み② だから大使館で日本の免許証の内容証明ポルトガル語でしてるやん

突っ込み③ そもそも日本の免許証をモザンビーク側が管理する意味あんの?

突っ込み④ しかもこれまで何人かの免許証を保管するって言って無くしてるやん

突っ込み⑤ JICA的に何年もこの話してるやん、なぜ伝わらん

 

とまぁ、突っ込みどころは満載なんですが、やっぱりいろいろと難しいですね。

つーわけで、バイクあるけど乗れないという、さらにもどかしいことになってます。

でもJICA側もこの事態を打開すべく、あらゆる選択肢を視野に入れて行動しているようで(北朝鮮の報道みたいな言い方だなw)、少しだけバイク乗車の可能性が見えてきました。

漸く活動できるかな的な感じになってきました!

 

うれしー。

 

そんな感じでいたら、まさに活動でBIGなことが起こりました。

 

③ 謎の訪問者が来る

「今日は大臣が来るからな!」と言われ、農家集団の元に向かうある日。

大臣が来るのはすげぇなぁ。と思いながら、あれ、でもなんで大臣クラスの人が来るのにSDAEからは普及員のお前(若造)と俺だけなの?所長とか来ないの?

 

そんなことを思っていたら

「地元政府のシェフ(部長的なポジション)が来るんだ」という言葉に代わり、

 

まぁそのくらいの人だったら所長とかいなくてもいいのか、

 

そう思っていました。

 

そして現れたおばちゃん。

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家に帰って経歴調べて衝撃を受けた。。。早く言ってくれよ。。。

 

「へー、上のポジションに女性がいるんだ。日本よりもジェンダーフリー進んでるなぁ」

 

なんてことを思ったり、

こんな感じで白人の女性に通訳(英語)しているのを見て、

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べらべらに通訳してました

 

「うわーモザン人だけど英語上手いなーこのおばちゃん。地元政府の部長レベルでこんなにできる人いるんだ」

 

なんてことを思っていました

 

そんな感じでイベント自体は終盤に向かっていったのですが、最後に訪問者の自己紹介的なコーナーがあり、そこで死ぬほどびっくりしました。

おばちゃん曰く

「私の名前はGraça Machel。サモラマシェルの妻です」

 

ん。まて。サモラマシェルって、モザンビークの初代大統領じゃないか?確か30年くらい前に飛行機事故で亡くなっているけど、その妻だったの?

 

、、、(元)ファーストレディーじゃん!!!

 

周りを見ると、みんな当然そうな顔をしている。当たり前か、自国の初代大統領夫人なんだから。

このおばちゃん英語上手いなーなんて、馬鹿なことを考えていたもんだ。

そんなことを思いながら、同僚に驚いた顔を見せ、農民たちにも「あの人が大統領夫人だったの?」とか聞いてセレモニーが終了し、帰宅することになりました。

 

そんで、疲れたーと思いながら「サモラマシェル 妻」で検索してみたところ

 

グラサ・マシェル - Wikipedia

同じ年の1975年にモザンビーク初代大統領サモラ・マシェル(1933 - 1986)と結婚するが、彼は航空機事故(en:1986 Mozambican Tupolev Tu-134 crash)で亡くなり未亡人となる。その後、1998年に当時の南アフリカ大統領ネルソン・マンデラ(1918 - 2013)と結婚し(結婚した日はマンデラの80回目の誕生日だった)、異なる2カ国で大統領夫人となった初の人物となった 

  

南アフリカのネルソンマンデラの妻でもあった。

つまり、世界でただ一人、2つの共和制の国で大統領夫人をしたことがある人だった

 

 

いや、ガチで歴史的人物やん

これまでずっとおばちゃんとか言ってて本当に畏れ多いわ。。。

 

人生で喋ったことのある偉い人ランキングで確実に1位じゃん

人生で握手したことのある偉い人ランキングでも確実に1位だな

いや人生で会ったことのある教科書に載りそうな人ランキン(ry

 

というわけで、もう少しこの国の歴史と文化を勉強しようと思いました。

2ショット取っておけばよかった。。。笑

 

今週はさらに続く

④ 大臣との面会

 

くるくる言ってた大臣は別の場所にいたらしいです。SDAEの所長と一緒に。なるほど。それで所長はこっちには来れなかったのか。それは仕方ないな

 

なんて思っていた矢先、「土曜日に大臣と会議があるから、お前も来い。ナンプラだ。」

 

ということで、土曜日に大臣にも会ってきました。

こっちは会ったといっても、州内の普及員(250人くらい)を全員集めての意見交換会みたいな感じだったので、別に直接話したわけでもなかったんですが、なんか今週はえらく偉い人に会う機会が多かったなぁと。

 

まぁ、偉い人に会ったところで俺は主役ではないし、農家並びに普及員の縁の下の存在でしかないから、あんまり意味はないんだけどね。

ただなんでしょうか。俺はやっぱり偉い人に会うとなんか気が引き締まります。バカなんですかねw

 

 

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悩みというほどの悩みではないですが、普及員との距離をどうするか悩んでます。

いつも一緒に行動している同僚はめちゃくちゃでかい畑を持っていて、そこで農家たちを働かせているんだけど、仕事の条件に関して結構議論しているんですよね。多分、「もっと早く払え、もっと寄越せ」と言う農家に対して彼は「いやだ」と言っている。

俺の元々の派遣内容は、零細農家が確りと食べていけるように、現金収入を増やす手伝いをすること。おこがましい言い方ではあるが、要するに、俺が助けなければならない人は目の前で議論している農家であって、普及員ではない。

 

だけど、SDAEで普及員として働くにあたって、同僚とは仲良くしていきたいし彼を突破口にして自分の活動範囲を広げていきたいとも考えている。

 

多分、今週、収穫を手伝ってくれと言われるだろう。

その時に農家たちは働いているのだろうか。

農家たちがその日、そこにいてもいなくても、俺は何を考えて何をすべきなのだろうか。

 

結論のない悩みが、また一つ顕在化した気がする。