Allgood-Life!! バカンスはモザンビークにて。

コミュニティ開発隊員として2018年1月から2年間、モザンビークのリバウエという田舎町に行ってます。おいでよリバウエ

祝? モザン100日!!

どもこんにちわ、小倉です。

 

タイトルの通りですが、本日がモザンビーク到着100日目!3か月ちょいかーって感じですが、2年間の任期(730日)だから、すでに約1/7が経過したことになるんですね。

既に後輩隊員(4次隊)も入国しましたしね。

パーセンテージに直すと、14~15%くらいですか。

 

いやくっそ早え。笑

焦りまくりですわ。まだ語学もてんやわんやだし。

 

モザンビークに到着して100日経つのに、すでに任期の1/7が過ぎているのに

なんもできてない。

これは、自慢でも何でもない、本当にみじめで情けないことですが、

本当に文字通りなんもできていないです。

 

なぜか。

 

自分自身の至らない点(語学、積極性、計画性、専門性すべての欠如)も確実にあるんですが、決定的にないものがあります。

 

足(交通手段)がないんです。

 

僕の任地、6,300㎢あります。(参考までにですが、我が故郷の千葉県は5,100㎢なんで、千葉県よりでかいですね。東京都は2,100㎢なんで、ざっと3つ分。笑)

 

そんで、そこに住む農家たちにいろいろ教えたりして、現金収入の向上を目指しましょうってのが、自分のミッションになります。(少し昔のものですが、ある書籍には「現金収入向上をうたったプロジェクトで成功しているもの:村人たちがプロジェクトから学び、プロジェクト終了後も継続的に実践しているもの:はほぼ皆無に等しい」という手厳しい指摘もありましたねー。うーむ。)

 

もちろんその全てのエリアをカバーするわけではないんですが、舗装された道は国道が1本走っているだけのもので公共交通機関はシャパと呼ばれる乗り合いバスのみ。

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シャパのイメージ画像

そのシャパも国道沿いは走っているけれども、自分の活動対象である農家、ひいては農場(畑)は国道沿いにあるわけではなく、国道(舗装された道)から外れて農道(未舗装の道)を30分とか1時間とかのところにあるんですわ。もちろん、徒歩ではなく車(バイク)でです。事務所or家からで考えると、合計で1時間~1時間半とかかな?

日本とは異なる環境の仕事を求めてアフリカまで来たというのに、なかなか難しいもんですねー。。。

 

 

、、、ここまで読んであなたはもうお気づきでしょう。

そう、今私は自分の活動が現時点でまだ上手くいっていないことに関して、

 

インターネットを通じて全世界に盛大に言い訳しているのです。

 

ごめんなさい笑

 

ただこうでもして世界に言い訳しないと自分の頭のバランス(これはこうあるべきだ、いやいやいろいろあって仕方ないやん~的な)が崩れてしまう危険性があるので、

 

勘弁してください泣

 

しかし!

そんな感じでしたが、今日漸く1本の連絡が参りました!!

「バイクを持ってくるぞ!」というものです。

 

よかった!これで自分は救われる!漸く協力隊らしい活動ができる!と思っていたんですが

 

「日時等々詳しくは実際の運転手から連絡するから。もう今すぐに(Agora mesmo: Right now)電話させるから。」と言われて電話を切られたのが4時間前。もちろん電話は現在までなし。

 

俺、明日明後日任地いないんじゃい。

持って来られても受け取れないよ?

 

モザンビークに限らず、アフリカ、南米、全世界に共通かもしれないですが、

「今」って信用できないね。泣

 

そして、なぜか、本当になぜかなんですが

 

「来いよ!」と思ったときは来ないけど

「来ないから(まだ)大丈夫だろう」と思ったときに来る。

 

このタイミングの悪さ。なんなんでしょうか。世界の七不思議にしてもいいんじゃね?

 

たぶん、明日バイク来るんだろうなー。そんで「持ってきたぞ!今どこにいるんだ?今は任地を離れている?じゃあこれ置いてくから。勝手にそっちで処理して」

 

って有無を言わさず置いていかれるんだろうなぁ。

 

日本のサービスって本当にすごいわ。神だよ。神。

 

そんなわけで、仮に明日明後日にバイクが持ってこられてしまった場合の対処法(と言っても、事務所の倉庫に保管するしかないと思っている)について、どうやって同僚に伝えようかなーと考えている最中です 。まぁ、そのまんま伝えるしかないんですけどね。

 

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事務所での暇な時間が腐るほどあったので、同僚とおしゃべりしながらいろいろと考えていました。帰国した後のこととか。

ミーハーな考え方ではあるかもしれませんが、いわゆるパラレルキャリアと言われるものに今興味を持っています。

協力隊後の王道:海外修士留学 → 国連、JICA といった道筋は、いわゆる国際協力に関わりながら十分な報酬をもらえる稀有なもの。しかし、組織自体が大きく、活動(業務の方向性)が政治に左右される可能性があり、自らの思いとは裏腹な国際協力をする羽目になってしまうかもしれない。また、基本的には現場から遠い。今改善しているみたいだけど。あくまでイメージです。

NGOは現場感がある仕事ができると思うが、報酬と大局観に欠けるイメージがある。仕事=人生という感じになりそうですね。

(JICAはインフラ系のプロジェクトがありますが)上記の2パターンだと多分王道は人道支援、貧困改善などがメインになってくるのではないかと考えていて、いま自分が現時点で感じている途上国(あえて使います)の生活上の問題点(いわゆるインフラ整備など)に携わる機会はかなり少なさそう。

とした場合に、生活インフラを支える仕事(会社務め)をしながら、空いた時間にNGOなどの国際協力活動を自主的に実施する(いわゆるパラレルキャリアの範囲で)のが、自分にとってあっているのではないかと。

勿論、パラレルキャリアだからこそのデメリットもあると思います。単純に、自分のやる気がないときにはやらない可能性がある。仕事が忙しいことを言い訳に。モチベーションの維持は一つの課題になるのだろうな。勝手なイメージは不毛地帯の朔風会みたいなもんですかね。

 

あくまでも2018年4月25日時点での考えなので、自分の考えが変化する可能性はありますが、何となく、備忘的な意味も含めて書いてみました。

 

長文にお付き合い頂きありがとうございました。

雨降って、水道濁る(圧倒的マイノリティとしての異文化適応について)

タイトルは本文と全く関係ないっす。自分の任地では水道は山からの湧き水を使っているみたいなんですが、雨が降ると土砂が紛れ込むのか、濁ります。そうすると勿論水は飲めないし、洗濯もできないっすね。プチ断水が続いていて、ちょっと嫌な感じの毎日です。そんで、カッコ書きの部分が本来題名になるとこですね。 

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ちなみにこれは熊本の鍋ケ滝で、モザンビークじゃないっすw こんだけ綺麗ならいいんだけどねぇ。

 

すんません、今日あった出来事を吐き出させてください。あんまりいいものではないです。見なくても全然いいです。

 

今日、昼休みに飯を食おうと近くの市場に繰り出しました。飯といってもこの間美味しいドーナツ(砂糖付き)を発見したので、それを食べようとしていました。

 

市場に行ったんですが、目当てのドーナツ(砂糖付き)はなく、砂糖なしのプレーンドーナツだけありました。

 

まぁ仕方ないかと思い1個買って食べていて、その間もドーナツ売りのおばちゃんたちとできるだけ現地語を使って話をしていたんですが(現地語勉強のため。)、通りを挟んで向かいにいる青年が「俺に買ってくれ。腹減っているんだ。買ってくれ。」と言ってきました。

 

よくある物乞いだなと思い、無視はしなかったんですが「No」と言った後、現地語の勉強になるなーと思ってそいつがどんなことを次に言い出すか観察していました。

 

そしたらそいつはおばちゃんが売っていたドーナツをつかみ、その場で食って俺を見た後、元居た通りを挟んだ向かい側に帰っていきました。

 

周りのおばちゃんたちも「いやいや何喰ってんだよ」って感じだったし、自分もそいつに対して「俺払わないからな!お前が食ってんだからお前が払えよ!」とは言ったんですが

 

そいつは意にも介さず「だって金ねーし」といわゆるケツまくった状態。

 

結局、金を持っているくせにケチな日本人は、周囲のおばちゃんたちに「ごめん」とだけ言って帰っていきました。

 

 

自分はこの時どうするべきだったのか、明日どうすればいいのか、すげー悩んでます。

いくつか選択肢があったはず。思いついたやつ書いていきます。

 

① 自分が金を払う。

はっきり言ってドーナツ1個なんて大した金額じゃない。日本円にして2円くらい。日本のサラリーマン時代と生活レベルは違っても、金額の大小だけで考えたら大したことはない。でも払いたくない。だって払う道理がない。俺が食ったなら俺が払う。俺が買ったなら俺が払う。でも勝手に取っていったやつ(しかも悪びれる様子もなく)の分を自分が払うのは納得できない。そいつは味を占めて今後もそうやって俺にたかろうとするかもしれない。その意味でも払いたくない。でも、このままだと被害者のおばちゃんがかわいそうだ。

 

② 青年に払うように詰め寄る。

多分これを選択したら、「金ないVS払え」の空中戦が勃発するんだと思う。そんで次第に言葉が荒っぽくなって挑発からケンカというパターンもあり得る。サラリーマン金太郎みたいに自分が腕っぷしに自信があったら、もしかしたら詰め寄ったかもしれない。でも、自分はそんなに自信がある方ではない。相手は黒人だし。そしてここはモザンビーク。青年の味方をするモザン人が出てくると思った。だって「我らが同胞の相手は金持ち日本人でついこないだ来たばっかり。体はそれなりにでかいけど何人かで束になれば問題なく倒せるだろう」。俺は金払えって詰め寄った結果、有り金と手持ちのスマホ取られて泣きを見る可能性が高いと思った。だから、できなかった。弱虫。

 

結果、おばちゃんに「ごめん」とだけ言い残して去っていくという、なんとも情けない、日本男児らしからぬ(もしかしたら典型的なのかもしれないが)行動を選択してしまった。

 

結果、一番の被害者はおばちゃん。そのおばちゃんももしかしたらこう思っているかもしれない。「金持ち日本人は1個売り上げに貢献したけどその分マイナスも持ってきた。ってか金持ち日本人なら1個分くらい払ってくれてもいいのに。」

 

日本で協力隊OBOGの話を聞いているときにも、何度も出てきたお金の場面。クレクレ攻撃。あの時は正直言って「そんくらい別に払ってやってもいいじゃん」って思ってた。でも今ならすごくわかる。このくだらないんだけど無視することのできない、そしていい解決策が思い浮かばない、難題。

 

自分が金を払うことで今後どのような見方をされるか、

同様に、金を払わないことでどのような見方をされるか、

悩んでます。

 

自分が金を払わない理由はいくつかある。

A 金を払う理由がない

B 金を払った後の自分の見られ方が嫌だ

C 金を払った後のあいつの「意地を通したら何とかなるじゃん」って考えを助長しかねない

 

それでも、なぜ何の罪もないおばちゃんが一番の被害者にならなければならないのか、そこまで自分も自分の意地を貫き通すことに意味があるのか。

 

悩んでいます。

 

今のところ考えているのは、明日、「ドーナツ食い逃げ野郎からお金はもらえたか」を確認すること。そして、仮に払われていないようだったら、あいつには内緒にしたうえで俺が払うこと。

 

 

ちょっとこれとは話が違うけど、クレクレ攻撃にはやっぱりずっと悩むかもしれない。職場でも道端でも何かと「買ってくれ」と言われる。それはパソコンみたいな高価なものだったり、腹減ったからゆで卵買ってきてくれよ、みたいな安いものだったりいろいろだけど基本的にすべて断っている。上述したように道理がないからだ。なぜ俺が自分で使わないパソコンを買わなければならないのだ。なぜ俺がお前のためにゆで卵を買わなければならないのだ。

 

一方で、確かに施しを受けることもある。正直に言って別に食いたくもない生の落花生だったり、キャッサバだったりするのだが、「いらない」というのも若干気が引けるし、できれば同じ目線に立って関係性を構築したいところから、とりあえず頂いている。

 

まだこれが交渉に使われたことはない。でも、もしかしたら今後は交渉材料に使われるかもしれない。「あの時落花生あげたじゃん。キャッサバあげたじゃん」。その時にどう答えるのか。

 

確かにもらったけど特に食いたくはなかった

確かにもらったけどあんまうまくなかった

特に頼んでもらったわけじゃない

それとこれとは別問題

 

どんな答えでも結局壁ができてしまう。仕方ないのかもしれない。本当に仕方ないのか?活動対象は農民だから、同僚とは多少壁ができても仕方がないのか?今後もずっと(2年間)微妙な距離感と関係性の中で働かなければならないのか?

 

多分、日本で仕事しているときのお客さんだったら、いろいろと折れているんだろうな。仕事のためって言い聞かせられるから。その方が効率よく業務が回るからって。最終的に効率よく稼ぐことだけ考えていれば、上司も納得したしそれが会社のためだと思っていた。現実的にどうすればスムーズに落ち着くのかという状況判断の能力は、はっきり言って評価の対象にもなる。

 

でもボランティアだと、すごく立ち位置が微妙になる。というか、自分を殺してまでボランティアをしたくない、というのが本音かもしれない。結局、自分は自分のためにボランティアをしているんだなということが、書いていて思ってきた。モザンビークのため、SDAEのため、農民のためではないのかもしれない。自分の経験のため。自分の世界を広げるため。

 

すごく自分勝手なことを書いているのは認識している。でもなんか言語化したかった。

 

そんなことを考える、任地1か月ちょいの夜。

異文化適応の事例研究みたいになってしまった。

コミュ開としてやばい感じの考え方になってるかな。。。そうだと感じる人がいたら、ぜひご連絡ください、お願いします。

停電とエセ活動と生存報告(赴任1か月)

なんやかんやと早いもので任地に来てから1か月、モザンビークに来てから3か月が経とうとしています。

退職してからはすでに半年以上が経ち、協力隊を受けることを決意してからはすでに1年半以上が経っていますね。

 

うーん、早い。そして長い。

 

まぁ1回落ちたせいもあるのですが、それでも2回目に受けた時点からは最速で来ているし、1回目で受けたときに希望した隊次からは一つしか遅れていないのに、それでもこんなに時間がかかってしまうのか。国境をまたいだボランティア活動、というか、ある意味では国家事業として行っている外交活動はやっぱそう拙速にはいかないっすね。

 

でもこっちに来た以上はなんかしら爪痕を残していきたいし、スピードは重視したいっす。

 

前置きが長くなりました。

 

1か月間アフリカの片田舎に住んでみていくつか身に染みたので、書いていきます。

 

① 停電にあいました

無電化集落で生活しているアフリカ他国隊員からしたらふざけんなと言われそうですが、自分の任地は電化されています。水道も出ます。ですがどっちも不安定でだいたい毎日停電してたし断水してたんですが、停電はまぁ割と一瞬(数十分程度)だし断水も昼間だけ(といっても朝7時~夕方7時くらいまで出ないときもあった)で、何とか生活する分には大きな支障ではないな、って感じだったんですわ。

 

ですがこないだ長めの停電にあいました。3日間くらい。

初日はすぐに復旧するだろって感じで早めに寝ればいいかなーと思ったんですが、2日目は(後述する活動の都合上)帰りが遅くなってしまったこともあり結局真っ暗の中ランタンの光だけで調理する羽目になりました。どうやら電気を駆動源としないようで一応水道は動いたんですが水流が弱く、そういう時は割と濁った水が出てくるんだけど暗いから確認しようがないし、しかもバツが悪いことに前日に肉、牛乳、野菜、ジュースを買ってしまっていて、これ以上停電してたら確実に悪くなってしまうという恐怖感と、明日になれば回復するんじゃねえかという淡い期待とが入り混じってすげー変な感じ。

 

肉はその日半分使いましたが、結局3日目も帰宅したときにまだ電気が来ていなかったので、泣く泣く埋めることとなりました。

 

結論、

電気ってマジで大事ですわ。

 

これでも昔インフラ業界に属していて、「人々の生活を基盤から支える存在に~」みたいなことを夢見たものの次第にペーパーワーク、デスクワークがつまらないなと感じてしまっていたんですが

 

電気ない生活って本当にきついなと実感しました。

 

最悪の場合、冷蔵庫が使えないことを想定した生活スタイルを構築しておけばそこまで苦痛ではなかったかもしれないけれども、自分はそうしていなかったし、それ以上に

 

暗くなっても明るく過ごせるという安心感がやばい

 

ってか電気見ると安心する。(これはアフリカで一人暮らしっていうシチュエーションもあるかもしれないけど)

 

日本にいたときにも「灯しているのは安心です」的なキャッチコピーを見たことがあって、

「ほーーーん。そんなもんかね。」

って感じでしたが、

 

あなたの電気も灯しているのはモノ(部屋)ではなくココロ(安心)かもしれませんよ。

 

以前は「協力隊行ってきたら以前とは違う分野で働くんだろうなぁ」などと考えていましたが、再度インフラ業界というのもありだなぁと。そんなことを考えました。

 

② エセ活動

この1か月で自分自身が隊員らしいことは全然していないのですが、Instaにはそれっぽい写真を載せ続けてきました。

ざっと総集編。Instaにあげていないのもあり。

A 配属先の郡経済活動事務所の上部組織である、州農業局職員との樹木成長状況視察

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DPA(州農業局)、SDAE(郡経済開発事務所)の職員と農場主

マンゴー、オレンジ、カシューナッツなどの枝木を分配して農家に配っていたものの生育状況を確認するもの。写真ではわからないけど接ぎ木して成長させるみたい。でも中には放置してたら枯れちゃったぜって農家もいた。。。

 

B 南ア資本銀行の支店開所記念式典参加っていうか見ているだけ

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なんか偉そうな人による社員紹介

自分もここで口座開設しているけど、昨年末にできたばかりでめちゃくちゃ綺麗。すでに開所してから3か月が経つけど開所記念式典。そんなもんなんですかね?

 

 

C JETRO下部組織のアジア経済研究所の農場視察帯同

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OP(生産者グループ)による説明を聞く

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Irrigaçao(灌漑)している農場

灌漑(川から水を引いてきて土壁を操作して水を調整するもの)できてるのはすごいと思う。かなりでかい生産者集団。

ちなみに上の写真と下の写真は別の集団です。上のOPはDの栄養改善にも参加している。めっちゃ元気。

 

D 州農業局員による農家向け栄養改善指導参加

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Boloと呼ばれるケーキ(ドーナツみたいな)の準備中

 

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野菜スープかなんかの調理中

一昨日から3日間、この栄養改善指導のために生産者グループのところに行ってて帰りが遅くなり、停電にあい、暗闇で調理をするということになりました。通常15時半で業務完了なところ、事務所帰宅で17時くらいかなー。彼女すげー頑張ってやってました。これから帰るから彼女が帰宅するのは21時くらいかなぁ。まぁ遅くなる理由はいろいろあるんだけど。

 

③ マクワ(現地語)習得

任地リバウエではポルトガル語も使えますが、農家さんの中にはポルトガル語があんまわからない人もいて、上記Dの栄養改善指導でも講師:ポル語、通訳:マクワ って感じでやってます。

自分が住んでいる街(集落っぽいけど)では、だいたいマクワで話しかけられます。挨拶程度なら覚えたけど、むちゃくちゃそれで喋ってくる奴がいる。全くわからない。それを見て楽しんでいるのかもしれないけど、言い返せるように早くなりたいなぁと。

そんなわけで拙いポルトガル語を武器にマクワを習得してます。竹やりで軍艦相手に~ってのと同じですかね。。。翻訳こんにゃくくれ。

 

 

おわりに

とまぁそんな感じでなんとか生きています。

 

ナンプラ州には他の隊員もいるんだけど、自分だけ孤立してます(他の隊員は州都ナンプラかそれより東側。俺だけ州都から西へ相乗りバスで3時間弱)。唯一の救いは世界遺産の島が州内にあること。往復2000円くらいで行けるめちゃくちゃ綺麗な島。但し移動にそれぞれ1日要するし、3か月ルールによりまだ行けず。。。

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イメージ画像

再来週の解禁を待つばかり。

あとは比較的マラウイに近い(といってもバスで1日かかると思う)ので、早く陸路でマラウイに行ってみたい。

 

あとは早くバイクに乗りたい。ただそれだけだ。

 

というわけで、長文失礼しました。ではでは。

任地で過ごす初めての週末

日本の皆さんこんばんわ。もうそちらは日曜日の17時半で所謂サザエさん症候群の時間でしょうか。あ、まだ笑点か。こちらモザンビークは現在10時半、すでにクソ暑いです。

 

先週はナンプラに行っていたこともあって今週が任地で過ごす初めての週末となりました。結果。

 

やることない。笑

貯めてた洗濯とか、保存していた映画を観るとかはあるっちゃあるんですが、飽きる。笑

 

ぶっちゃけこれは木曜日夜から体調を崩していて微熱、扁桃腺の腫れ、口内炎という微妙すぎる症状トリプルパンチを食らったためと言うのが正直なところですが、

 

「(体調が万全でなければ)やる事が極端に限られる」

 

と言うのは真実かなぁと。

 

既に解熱したので外出しても問題ないとは思うものの、「初めは生活に慣れるのが肝心」「無理は禁物」ということで可也のチキンではあるもののちょっと様子見なぼっち週末でございました。

 

そんなわけで、不本意ながら2日間家にこもって考えていた事をとりあえず吐き出します。(本当に雑記、メモですが)

 

1 待ってても仕事なんて来ないから、好きなことしてやろう。

所長と話が出来て配属先?同僚?みたいなものは一応できたけど、当たり前ながら業務が与えられる訳ではなく、明確な指示がある訳でもなく、よく分からないまま部屋に居座って時間を過ごしてしまっていた。。。

放置プレー主が所長から同僚に変わっただけで、なんも根本的な解決になってねー笑

そういえば当たり前だわ。だって放置プレーが基本だもんコミュ開。所長と話して配属先(配属課?)が明確になれば事態が変わると思ってた自分、なんなん笑

自分が動かないとなんも動かないことに漸く気づいた、遅かったわー。

 

そんな訳で、手始めに市場の価格調査(データ整理)から手をつけています。こちらでは事務所にパソコンは数台あるものの、専ら報告書書くためmachineでしかなく、紙で保存されている情報の整理分析が全く出来てない状態。

 

とりあえずは手打ちでエクセル入力しまくる毎日になりそうです。

 

2 週末の予定をなんか作ろう。

これやらないと家で暇死にする。笑

候補に上がりそうなのは

a 教会、ミサ、モスクに行く

b サッカーやる

c ダンスする

d 写真を撮りに行く

e 勉強する

f 日焼けする

 

ポル語とマクワ語はやりたいけど、落ち着いて勉強できる空間欲しいんだよなー。

ってか、友人が必要だな。必要ってか、欲しい。

ピースコーの奴と仲良くなってみよう。野球好きって言ってたかな。。。今週末は体調悪かったけど来週末だ。そしたら英語も復習できるわ。

 

3 家の安全性、利便性の向上を図ろう。

金曜日に棚持ってくるって言ってた大家が結局来なかった。やはりリマインドはこの国では必須という事か。

棚の他に塀の建築と門の設置も残ってる。警備員のことも少し相談しよう。そうじゃないと安心して洗濯物もできやしねぇ笑

 

4 水は煮沸消毒のやつを飲もう。

ミネラルウォーターじゃなくても多分大丈夫。ここは水綺麗っぽい。匂いもしない。濾過器買うかなー。

 

5 もうちょっと大胆になっていいんじゃね?

カメラとか持って出歩いてなかったんだけど、そろそろ持ち歩いてもいいんじゃねーか?活動でも使いたいし。

 

6 近所の人と仲良くなろう。

子供と大人と含めて。今度夕方お邪魔してみよう。現地語の勉強にもなるし、いい距離感を作りたい。懐に入り過ぎるのは良くない気がするけど。

 

7 リバウエのキャッチコピーを考えたい。

例えばだけど、「何も無いがある」って英語とかだとなんて言うんだったか。。。

 

 

、、、なんてことをつらつらと書いていたらもう12時か。日本は7時ですね。鉄腕ダッシュの時間ですね。こっちでもゼロ円食堂やってみるかなー笑

 

美味い日本食食いてえなー。それでは。

1週間分のFelizを使ってしまったのではないかと勘繰ってみる

お久しぶりです、小倉です。定期更新でないとタイトルとかで何日目・何週目とか何を書いていいかわからなくなりますね。

 

今日はだいぶいい一日になりました。むしろ良すぎる日になってしまったので、忘れないうちに書いておこうと思います。

それでもやっぱり、まだ1日の時間が足りない気がする。早いとこバイクを使った生活を始めてリズムを作っていきたいなぁ。。。

 

 

嬉しいこと①

週末ナンプラに行ってガスコンロ、ガス、鍋、フライパン、中華の調味料など大量に買い込み、今日それを家に持ってくることに成功した。吉岡さんには本当に感謝。これで漸く食の不安が無くなりました。あとは料理の腕、目利きの腕を磨くだけ。自己研鑽。

 

嬉しいこと②

所長と活動のことについて話ができた。こちらから言ったことをだいぶ認めてもらって明日から色々と活動できそうだけど、なんも知らない中での発言だったしちょっとは後ろに構えた方が(ここにあるデータを見させてもらってから話をするように仕向けた方が)よかったかな。。。それでも、野菜の価格調査、天候との収穫量・質との関連性、情報の視覚化、市場アクセス支援、観光促進、街のPR、英会話支援・PC操作支援。いきなり飛ばしすぎかもしれないけど、まぁ動かないよりいいだろう。現在SDAEにある資料を読み解きながら、現地農民と話をしつつやっていきたい。

 

嬉しいこと③

任地訪問調査の時に知り合った、リバウエの病院にてHIV対策をやっているドイツ人と再会し、ピースコーの人を紹介してもらった。ピースコーは3人いるらしい。2人はあと半年で帰る。今日あった奴は来年の夏ぐらいまでいるらしいから、できれば仲良くしたいなぁ。しかし話をしてみると分かったことだが、笑ってしまうほど英語がポル語に侵食されている。慣れって怖い。ポルトガル語とマクワ語の習得に加えて、現在の英語がさび付かない様にケアしていこう。

 

嬉しいこと④

めっちゃポジティブシンキングですが、ポル語能力が上がっているような気がします。ドイツ人に褒められました。いや勿論ほんの少しだけど。でも、言語なんて慣れているもの勝ち、というかそれ以外のルールない。となれば、できるだけ慣れたら最強ですね。

 

マクワ語について

バチャーニ 友達って意味みたいですね。マクワ語。

ワカーニとすごく混ざる。

今後ナンプラに来る人は、なんか言われたらとりあえずサラーマ キ エハリとって頂ければ平和になれるかも。

悪夢

いきなりですが悪夢を見ました。

自分は普段からあんまり夢を見ないし、見たとしても直ぐに忘れてしまうのですが、今回のはちょっと衝撃的で忘れられなかったですね。悪い夢なら覚めて欲しいと思う、そんな夢。妙に現実感があって、気味が悪かった。

 

僕はお酒で失敗した経験が結構ある方なんですが、夢の中でもそのお酒で失敗してました。飲みすぎて記憶なかったのになんか暴行事件を起こしていて、警察沙汰。協力隊としての出国が翌日に控えているのに裁判とかになりそうでどうしよう。。。みたいな感じでした。

まぁ、夢だったから良いんですが笑

 

1月にモザンビーク に来てからメフロキンを飲み始め、丁度2ヶ月。悪い夢を見るという噂のメフロキンはこれまではなんともなかったんですが、今回の悪夢との因果関係は?

 

自分の予想ですが、メフロキン飲んだからというよりメフロキンを飲まなければならないような環境(途上国)で、活動や生活が思うようにいかないというストレス(精神的苦痛)が悪夢となって現れるのかなぁと。

特に昨日は自分でストレスを感じられるくらい、ストレスを感じていたので、(それが悪夢となって現れるくらい)ストレスを感じていたんだなぁと。(ゲシュタルト崩壊しそうですね)

 

意外とよわっちいもんですね。

 

まずは心と体の平穏を獲得して、そっから活動に向き合わないと本当にやられるなと、改めて実感です。

 

さて、朝ですね。

洗濯は帰宅してからやるとして、準備せねば!笑

 

それでは。

久々の更新です。漸く引っ越し&本配属(0日目&1日目)

久しぶりという言葉では言い表せないほどの時間が経ってしまいました。

という出だしで昨日ブログを書いていたのですが、あるあるな感じで接続エラーによりすべてが無くなり、新しく書いている感じです。

 

前回記事を書いたのが年末大晦日で、現在3月8日。この2か月間、本当にいろんなことがありました。

まぁとりあえず1月15日にモザンビークに向けて成田空港を出国したのですが、到着してからは語学研修の嵐で

 

ホームステイあり、語学授業あり、チューターとのアウトドアレッスンあり、最終プレゼンあり、最後には語学関係ないけどバイク免許取得のための筆記試験ありで、かなりポルトガル語漬けの毎日を送っていました。

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ホストファミリーと

 

ただし、幸か不幸かバイク試験の日程が当初予定よりもちょこちょことずれて予定よりも1週間ちょっと、首都滞在の時間が増えたので、任地に行っては食べられないであろう寿司、タイ料理、中華、シュラスコなど贅沢の限りを尽くしましたね。

 

ちょうど、他国(ザンビアマラウイ)からの任国外旅行者が来ていたので一緒に食事をしたんですが、彼らから言わせるとモザンビークの料理はめちゃうまいらしいです。

 

曰く、「海鮮が食べられるのが神」「味付けが塩だけでないところが素晴らしい」ようです。ちなみにまだ僕は行っていませんがモザンビークにはきれいなビーチもたくさんあるので、アフリカ諸国の方々、

 

バカンスはどうぞモザンビークにて!!!

(来るときは一報ください)

 

そんなこんなで2週間は差があったはずのミャンマー隊にも抜かされ、2017-3次隊で最も遅いであろう3月7日、漸く任地のNampula州Ribaue郡に赴任しました!

 

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Ribaue。後ろの山がくそでかい

まー、田舎ですわ。

でも自分が思い描いていたような場所で、2年間生活できるんだから、有難いことなんだよね。家の床が割と傾いていたとしても、我慢するしかないよね。クーラーないしまだコンロもシャワーもないけど、いいよね。

 

移動日の昨日(0日目)は、午前中にはこっちに来てすぐに事務所(活動拠点となる経済活動事務所:通称SDAE)に行ったんですが

「着いたよ!」「今日やりたいことある?」「とりあえず家に荷物置きたい!」「OK、そしたら荷物持って行って。今日はなんもないから明日来てね。7時半」

 

一瞬で放り出されました。

 

ま、新規だし。コミュ会だし。しゃーなし。

 

そんで今日(1日目)やったことは

 

 

 

銀行口座を開設する。

 

以上

 

、、、、、いや、めっちゃ大事なんですよ。

口座開かないとJICAからお金もらえないしね。タダでは生活できませんからね。

しかも他国とか首都隊員は首都でみんなで一括で口座開設、みたいな感じで、モザンのオリエンテーションでも「銀行口座開設のときとかはあっちの(配属先の)CP:カウンターパートが付いてってくれるから」とか聞いてたけど

 

「銀行口座開きたいんだけど」「何がいるの?」「これとこれと、、、」「おk。じゃすぐ用意するから行ってきていいよ」

 

、、、、、一人ね。慣れてる。

 

協力隊が社会経験あった方がいいといわれる所以って、実はこういうところなんではないかと思ったりする。

だって学生だと口座開設とか、何が必要かとか、どういうサービスになっているかとか、この書類はどういう意味があって作成されているかとか、あんまり興味持って考えたりしないし、認識してないからね。

 

勿論、協力隊が他の海外生活者と比べてJICA制度が利用できることで手続きが簡単になることもあると思うけど、海外でも手放しで生きていける人間(お金は払うけど)ってのは、人を使う側からしたら楽だろうしね。

 

まーそんなわけでまだ活動なんてものは全くできていない感じですが、これから生活を固めて徐々に町と人に慣れていきたいなと。ポルトガル語に加えてマクワ語も。

 

ちなみに今日は

エハリ(おはようこんにちわこんばんわ、全部同じ)、サラマ(元気だぜ)、コシュクロ(ありがとう)を習得しました。

 

マクワ喋ると本当に一瞬で距離縮まる。

 

さ、なんか所長と飯食えるみたいなので、今日はこの辺で。

それでは。

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